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2001年春の旅(9)パリ~ウィーン [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/27(金)パリ→ウィーン

ウィーン/ホテル・マイルベルガ―4泊

  飛行機などの移動の詳細は旅の手帳に残っていませんが、午前中にはウィーンに到着しました。ウィーンはパリに比べるととても暖かく、ライラックも咲いていました。オペラのグループの人たちは昨日日本から到着していましたが、観光に出かけていました。私の部屋はまだ用意できていないとのことで、荷物を預けて外出。リーダーのO先生が予約してくださったこのホテルはケルントナー通りまで100mくらい、国立劇場まで徒歩5分もかからない立地で、便利でした。

↓ ホテルのある通り。古本屋さんの隣りの青い旗がHotel Mailbergerです。

ウィーンのホテル界隈.jpg

 ウィーンは1995年に次女と訪れて以来ですから、6年ぶり2度目でした。初訪問の時は正直、フランスやイタリアの都市に比べると、端正過ぎる感があってあまり好きになれなかったのですが、オペラ入門したことが縁で、この後も何度か訪れることになりました。

さて、どこに行こうかしら?ケルントナー通りからシュテファン寺院まで歩き、内部を詳しく見ていなかったので、入ってみました。すぐにオペラグループの方たちを発見!良かった~。これからランチへ行くというので、早速ついていきました。O先生がウィーン空港からのタクシーの運転手さんに聞いたというベスト・レストラン(ウィンナー・シュ二ッツェルの)へ。寺院の後陣のほうから狭い道を入って、少し歩いたところです。予約をしてありましたので、並ばずに済みましたが、かなり繁盛していました。総勢10名でお皿から溢れんばかりの牛カツと山盛りのサラダ、ワインを美味しくいただきました。二人で一皿ずつ注文しても余すほどの量でした。

ホテルに戻った後は休息。ホテルの部屋(シングル)はバスタブもついて、簡素系。中庭に面した部屋でしたので、静かで良かったです。ただベットが古く、スプリングも壊れていたみたいで、寝場所によってはコツンと肩のあたりに当たるところがあって、クッションなどで押さえながら・・・それほど安くもないホテル(3☆)ですが、このクラスではベットが柔らかすぎたり、悪いことがたまにありますね。

夜はグループの皆さんはフォルックス・オッパーへ。私は「ウィリアム・テル」の国立劇場へと別れました。ところがここで問題発生。開演は7時半なので、劇場へ着いたのは7時過ぎでしたが、すでに開幕していたのです。しかも演目変更になっていて「トスカ」だというのです。当時はまだHPを煩雑にチェックする習慣もなく、チケットを購入した時点で安心しきっていました。払い戻しもしないとのことですから、観なければ損ですから・・・案内されて2階のバルコンへ。そっと入った席は後ろでしたが、椅子も高く正面に近いので、良く観えました。実際の席は平土間だから休憩の時移動いてくださいと言われましたが、出入りもしやすく居心地も良くこのままで観ました。

♪~プッチーニ『トスカ』19:00~@ウィンーンSO

指揮:ステファノ.ランザーニ  演出:マルガレス.ウオールマン

トスカ:ハズミック・パピアン  カラヴァドッシ:ジャネ・ロ-トリック
スカルピア:ベルント・ヴァイケル

♪~せっかく予習もしてきた『ウィリアム・テル』が観たいという気持ちの整理がつかないままで聴いても面白いわけがありません。あまり楽しめませんでした。ロートリックはパリのホフマンより出来が悪かったのですが、パピアンはまあまあ。ヴァイクルはさすがベテラン、拍手でした。しかし、初体験のウィーン歌劇場のオーケストラのわき上がるような響きは素晴らしく、やっぱりウィーンは違うなぁと感激。今回はあきらめムードでしたが、俄然次回が楽しみになりました。

 グループ仲間とはアフターオペラをハンガリー風レストランで過ごすことになっていました。それまで時間があり、劇場隣接のホテル・ザッハーで、コーヒーとケーキ(ザッハー)でひと休み。時間になったのでTAXIで、住所メモを見せてレストランへ。私はスムーズに着いたのですが、グループの仲間たちはなかなか現れません。昼食の時は皆で食べると楽しいと思ったけれど、こうなると独りのほうが良かったと後悔してしまう現金な私でした(笑)。色々とトラブルがあったそうで、ようやく全員そろったのは1時間以上も経っていました。レストランと言っても、ハンガリアンバンドのショーがあり、オペラの「こうもり」の中で歌われるチャルダーシュなど歌ってくれました。私は空腹の上待ちくたびれて、あまり楽しめませんでした。


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2001年春の旅(8)パリ [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/26(木)

 朝食の後は郵便局に行きました。コートダジュールの美術館巡りで購入した本が重く、腰痛の心配がありました。本だけですが、3つの袋に分けて330F!高くてびっくりでした。

この日はルーヴル美術館へ。美術館入口の荷物の検査場が凄く混んでいたので、隣に並んだ日本人の女性とカルト・ミュゼを地下鉄の窓口まで戻り、購入しました。後から気がついたのですが、この日は無料の日だったのです。だから入り口から行列していたのです。ところが展示室は1/3しかオープンしていなくて・・・中世の彫刻部門は閉鎖されていて、踏んだり蹴ったり。

ルーブル2.jpg

ルーヴル美術館

今回はリシュリュー翼2Fから見学しました。ルーベンスの連作のある「マリー・ド・メディチの生涯」の部屋→フランドル絵画(フェルメール、レンブラント、テル・ボルフなど)→工芸コレクションのなかの中世の聖遺物箱(シャンパーニュ地方の12~13世紀やリムーザン地方の12世紀など)、エマイユや象牙の浮彫も多数。

ここでランチタイムを取りました。館内のレストラン(日本語メニュー有)で、アラカルトでカサゴのキャベツ包みとデザートは梨&ヌガーでした。隣席に日本人のシニアのご夫婦が座っていて、少しお話しました。ツアーの終了後に1週間パリで延泊して、美術館周りをされているとか・・・ゆくっり見学できて良かったとおっしゃっていました。私が一皿+デザートだけなのを見て、前菜は取らなくてもいいのね~2皿ずつ取ったら量が多くてと余されていました。昼は1皿+デザート、夜は2皿+デザート(お腹いっぱいだとパス)のパターンが多いです。

ランチの後はフランス絵画→イタリア絵画と周り、途中の小部屋で発見したのは

↓ ロッソ・フィオレンティーノ「ピエタ」のプチ特別展

ロッソ・フォレンティーノ.jpg

Rosso Fiorentino (伊)1494~1540  ポントルモとともにマニエリスム第一世代を代表する画家。抽象的な形態と幻想的で鮮烈な色彩の独自な作風。フィレンツエからローマへ。その後はフランスに招かれフォンテーヌブロー宮の装飾を手掛ける。のちにフォンテーヌブロー派と称される画派を形成し、その後のフランス美術に多大な影響をもたらした。

上の写真の「ピエタ」はルーヴル美術館収蔵。フランスに渡ってきてから描かれた159×245の大作です。この作品についての詳しい解説やいくつかの小品が展示されていました。フランスでのロッソの作品は他にフォンテ―ヌブロー宮の「フランソワ1世のギャラリー」で観ることができるそうです。マニエリスムは大好きなので、いつか訪れたいと思っています。

↓ ゾッポ「聖母と奏楽の天使」88×72 /Opera Del zoppo di Squarcioneのサイン有

ゾッポ.jpg

↓ 追っかけのカルロ・クリヴェッリ「シエナの聖ベルナルディーノ?」(1477)195×61

crivelli%20paris.jpg

年老いた聖人の色彩も地味な絵ですが、遠くからでもカルロの作品と分かる独特な作風。聖人の頭上にお決まりの果物が描かれていますが、これも全体の雰囲気を損なわないようにモノトーンに近い彩色。バックの垂幕も良く観ればオリエントの抽象草花が淡く描かれ、足元には寄進者と見られる親子の祈る姿。
シエナの聖ベルナルディーノかどうか確定されていないそうですが、この作品は1825年まではアスコリ・ピチェーノの教会に在りました。その後ローマを経て1862年にルーヴルに移りました。アムステルダムのマッダレーナと同じ細長いスタイル。台座に署名。

この聖ベルナルディーノ(1380~1444)について。シエナの貴族の出身で、聖フランチェスコ会に属する有数の説教師で、キリストの名を示すI.H.S.と記した円盤を持って布教。裸足で貧困の誓約を厳守するオッセルヴァンティという修道会を創設し、数多くの奇跡を行ったと言う。この画にも吊り下げられた円盤、裸足、年老いた苦行僧の姿として描かれています。

しかし、ルーヴルのイタリアルネッサンス名画がずらりと並ぶ大回廊で、この画を見つけてそわそわ&にっこりと近寄るのは私くらいでしょうね(笑)

ルーヴルにはもう一点のカルロ・クリヴェッリがあるそうですが、このときは気がつきませんでした。

↓ マンテーニャ「聖セバスティアヌス」

Mantigna1.jpeg 


 
↓ スルバラン「聖アポロにウス」1636頃 113×86

スルバラン.jpg

はっと気が付くとすでに5時近くになっていました。このままシャトレ座へ行き、劇場隣のカフェで時間をつぶし、キルヒシュラーガ―のリサイタルへ。

↓ 開演前

シャトレ座.jpg

メゾ・ソプラノ:アンゲリカ・キルヒシュラーガーMezzo Soprano: Angelika Kirchschlager
オーストリア人のメゾ・ソプラノ。プログラムが残っていないので、詳しい曲目は忘れてしまいましたが、フランスでも人気があり、フランス歌曲もアンコールで数曲歌って、最後は声がかすれてしまいはらはらしました。まだ若くて美しい(今でも綺麗ですが)キルヒはグレーのサテンのドレスが色白で知的な彼女に似合って、とても素敵でした。前年バスチーユでホフマンのニコラウスとミューズで観てファンになってましたから、偶然でしたがパリにいる間にリサイタルがあってラッキーでした。

さて、明日はオペラ仲間たちの待つウィーンへ向かいます。


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2001年春の旅(7)ニース~パリ [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/25(水)  ニース→パリ(AF)

パリ/ナポレオンホテル 2泊

 複雑な内部のホテルですから、朝食室も遠いのです。おまけに値段の割に簡素なので、今朝は朝食抜きでお菓子など食べて、早めにニース空港へ。空港のカフェでようやくコーヒータイム。私の体は朝のコーヒーを飲まなければシャンとしないので、これでOK。飛行機の遅れもなく、パリCDGに到着したのはラッキーでした。というのは前日ストがあったからなのです。天候にも恵まれ、こういうことでもついているコートダジュールの旅でした。でもパリでは・・・。

 さて、パリのホテルに5日ぶりに舞い戻りました。部屋は前回のスィートルームではありませんが、かなり広い凱旋門に面した角部屋でした。

ナポレオン3.jpg

ランチは向かい側の通りで偶然見つけた日本人の吉野シェフの「ステラ・マリス」で。昼のムニュのスモークサーモンのステラ・マリス風(ミキュイ)、野菜もたっぷり添えられて美味でした。アミューズは2皿も出していただいて、マダム(吉野夫人)が独りの私に気配りしてくれて、楽しく食事ができました。ケーキのお土産も持たせていただいて恐縮でした。吉野シェフはこの何年か後にミッシュランの星を獲得。現在は東京にも店を出して、成功されました。あの時の優しかったマダムは数年後?でしたか、詳しくは書きませんが失意のうちに病死されたとのこと。東京に行っても吉野シェフのレストランには行きたくないです。

さて、これからが大変なことに…と言いますのは手持ちの現金が少なくなり、シティ・バンクのシャンゼリゼ店でお金をおろす必要がありました。ATMではやはり駄目です。数日前東京のシティバンクに電話したときは、カードの磁気が駄目でも、パリ支店で緊急のキャッシュ・サービスが受けられるという話だったのです。ところがカウンターでパスポートとカードを提出しても、ノンなんとかと言って拒否。東京のシティバンクに電話してもらいました。その電話はカウンターではなくて、入口近くの立って話す電話でした。そして、信じられないことばかり延々と続きました。「ウィーンで友達にお金を借りたら?」とか「クレジットのキャッシュ・サービスでお金を借りたら?」とか・・・そのたびに「ウィーンに行くまでお金が足りない」「クレジットカードの暗証番号は控えてない」と説明するのですが、「少々お待ちください」と言って何度も中断して長いトイレ?、私が預金を引き出すのを諦めさせようとしているの?悔しくて涙がでてきそうでした。旅先であんなに困ったことはありませんでした。ミラノでスリにあった時よりも。札幌で口座を開設して、預金してきたのはなんのためだったのでしょう。自分のお金をおろせないなんて。こうなると意地でもおろすわ!逆境に強い私?です。最後にカードの暗証番号のほかに顧客の番号がありますが、答えられますか?えーっと〇〇〇〇かしら(自信なかったけれどあたり!)ようやくお金を手にできたのは、支店に入ってから1時間半後でした。何故こんなに引き延ばすのかしら?嫌がらせとしか思えませんでした。1時間も立ちっぱなしで腰は痛くなり、ほとほと疲れました。夕方のオペラまでホテルに戻って休まなければなりませんでした。

 悪いことが続きました。余裕をみて早めにシャトレ座に向かったので、遅れないで済んだのですが、地下鉄がメカトラブルでストップ。しばらく動くのを待ったのですが、途中の駅で車内放送があり全員降車ということになり、地上に出てシャトレまで30分ほど歩きました。着いたのは開演ギリギリでしたが、実際には15分ほど遅れて幕が開きました。

♪~『ファルスタッフ』ヴェルディ

指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー  演出:イアン・ジュドジュ

サージョン・ファルスタッフ:ジャン.フィリップ・ラフォント  フェントン:ファン・ディゴ・フローレス  フォード:アンソニー・マイケル.モア  バルドルフォ:フランシス・エガートン  アリス・フォード:ハイレヴィ・マルチンペルト  ナンネッタ:レベッカ・エヴァンズ  クイックリー夫人:キャサリン・クールマン

♪~予習のCDを聴いているうちにこのオペラが大好きになりました。ヴェルディが到達した職人芸のようなセリフとメロディーの絶妙なマッチング!シャトレ座も初めてでしたし、期待度大・・・おまけに一度はキャストから消されていたフローレスが無事出演しました。チャーミングなフェントンを歌い、確実な成長ぶりに目を細める私でした。このころからファン仲間では王子さまの愛称が付いたフローレスでしたが、まだ一般のオペラファンには知られていませんでした。私も1999年のミラノ以来2度目でした。

オーケストラも舞台上に配置された、狭い空間での展開でしたが、演劇的なきめの細かい演出とそれに沿ったガーディナー指揮の小振りながらも典雅な演奏、歌手達の洗練された動きと見事な歌唱に感嘆。シェクスピアの原作だけあります。お芝居としても楽しい作品で、笑いもフランスの公演らしくお洒落で上品、好感度の高い舞台でした。演出家はプログラムの紹介に寄りますと、イギリス人でシェクスピア・カンパニーで働いていたそうで、さすがと思いました。

↓ プログラム

Block_Image_3_2_5[1].jpg

当夜の素晴らしい舞台に朝から続いたトラブルも一掃されすっきり。10時半ごろの終演でしたが、メトロで戻った凱旋門付近は賑やかで、余裕でホテルに帰りました。美食ランチから何も食べていませんでした。手持ちのお粥でなんとかお腹を満たし、就寝。


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2001年春の旅(6)ニース [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/24  ニース→サンポール・ド・ヴァンス→ヴァンス→ニース

 今日はバスでニース近郊へ行きました。バスターミナルは昨日訪れた近代美術館の近くで、タイムテーブルも確認済みでした。ここのルートを決めるにあたって迷ったのはルノワールの家のあるカ―ニュ・シュル・メールに寄るかどうかでした。でも、バスの便があまりなくて断念しました。

バスは1時間ほどで、サン・ポール・ド・ヴァンスの城壁で囲まれた旧市街の外側に停車しました。旧市街は後から見学することにして、まずはマーグ財団美術館の見学へ。バス停の向かい側の道にマーグ財団美術館の看板があり、それに沿って山道を15分くらい歩きました。

↓ ここから眺めた丘の上サン・ポール・ド・ヴァンスの町です。ミモザの花が真っ盛りでした。

サンポール・ド・ヴァンス1.jpg

 そして高台に建つ美術館に到着。さほど急な登りではありませんが、真夏だと厳しいかも・・・。

マーグ財団美術館   1964年、エーメ・マーグ夫妻によって設立された私立の財団によって運営されています。戦後フランスの代表的な現代美術の画商と知られ、その画廊経営と出版事業によって20世紀美術に深く関与した夫妻でした。ボナールやマティスらと親交があり、絵画、彫刻などの豊富なコレクションに加えて、風光明媚な土地に建てられた利点を生かして、ミロやジャコメッティなどの庭園に展示された作品が秀逸でした。ただ訪問した日はミロの特別展のため、常設の作品はほとんど展示されていなくて、心残り・・・涙。

↓ 松林に囲まれたアプローチを行きますと、美術館前庭にはカルダーのモービルやミロの彫刻。

マーグ財団美術館1.jpg

内部はカメラ禁止でした。ミロの特別展のためのいくつかの部屋を抜け、戸外へ出ますと

↓ ジャコメッティの庭

マーグ財団美術館3.jpg

また、庭の片隅にごく小さな礼拝堂がありました。白い壁にキリストの磔刑像が掲げられているだけのシンプルな、祈りの空間です。昨日から現代美術の数々を鑑賞してきた私には、モダンなのにまったく違和感のない親密な感じがする場所でした。

↓ 常設展が見られなかったので、ブックショップで重いカタログ(20世紀のヌード)を購入。

Maeght1.jpeg

元来た道を下り、バス停から城壁内のサン・ポールへ。この日は南仏らしい陽光が眩しい日でした。大勢の観光客で賑わっていましたが、

↓ 狭い路地を抜けるとふと静かな一画が現れたり

サンポール・ド・ヴァンス2.jpg

狭い坂道の途中にあったレストランで野菜中心の軽いムニュのランチ。トマトのファルシーが美味しかったです。

ピクチャレスクな町を楽しんだ後はヴァンスへ。降車したバス停に戻りますと、さきほど美術館でちらっと見かけた日本人の若い女性が立っていました。お互いに独り旅&美術好きということで、たちまち意気投合。この後はご一緒することになりました。バスは10分ほど登り(素晴らしい景観!)、ヴァンスの街中へ。バスを降りると目の前にプチ・トランが待っていましたので、即乗車して、ロザリオ礼拝堂へ向かいました。ヴァンスから礼拝堂までは徒歩で行けますが、かなりきついようで心配でしたから、助かりました。

ロザリオ礼拝堂

マティスが晩年に精魂を傾けて完成させた礼拝堂は1948年に着手し51年に完成しました。前日ニースのマティス美術館で設計図から壁画、ステンドグラスまでに及ぶ推敲を重ねたデッサンを見たあとで、チャペルを見学したのは、予期しなかったことですが、とても良い順番だったと思います。南仏の太陽がステンドグラスを透して、明るい光が差し込み、溢れます。解説の方の話では一日居ても飽きないとのこと。刻々と光が変化するその有様を観たいと思いましたが、一介のツーリストですから・・・。シンプル・モダンな美と祈りの密なるチャペル、マティスの画家としての魂がこもっています。ただただマティスのクリエイティブな仕事に脱帽しました。前年、エルミタージュ美術館で感動した以上のマティス体験になりました。

↓ チャペルの前でプチ・トランを降りました。個人の自由見学は無く、ガイドツアー(30分毎)のみ。

ヴァンス・マティスの礼拝堂.jpg

ヴァンス.jpg

マティス.jpg

入館のとき並んでいましたら、ガイドツアーが終わって出てきた中に札幌のスポーツクラブで一緒の方にばったり!ご主人と個人で南仏を回られているそうです。札幌の町中で会うこともないのに、何でここで?と笑っちゃいました。

感動の見学が終わった後は、プチトランでヴァンスへ戻り、バスの出発まで大聖堂の見学をしました。同行していただいた方と夕食を共にすることを約束して、いったんニースの宿で休憩。約束の時間まで浜辺の散策をしました。

↓ ニース歌劇場の前で待ち合わせ。この日の公演は聴いたことのない珍しい演目でしたし、観る予定はありません。

ニース歌劇場1.jpg

旧市街のレストランでニース名物のソッカ、野菜スープなど。安くて美味しい店なので、狭い店内は満杯でしたが、若い彼女同伴のおかげで「ちょっと待って、すぐ空けるから」って、優しい南仏男(笑)。ワインも1本あけて楽しいお食事になりました。帰りはすでに暗くなっていましたが、海岸通りは危険だからと私のホテルまで送ってきてくれました。いろいろと気配りのできる彼女とのお別れはやはり淋しかったです。お互いに暗黙の了解みたいに住所氏名を名乗らずじまいでした。

コートダジュールの美術館めぐりも終わり、明日はパリに戻ります~。


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2001年春の旅(5)アンティーブ~ニース [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/23 アンティーブ→ニース(列車)

ニース/ホテル・ラ・ぺローズ2泊

 朝目覚めると雨が降っていました。午前中はレジェ美術館のあるビオットBiotを訪れる予定だったのですが、この快適な宿を離れるのが惜しくなってしまって、雨ですし怠け心がでてしまいました。ルームサービスの朝食をゆっくりいただいて、本を読んだりして過ごし、昼近くにチェックアウトしました。そのころには雨も上がり、青空の広がる良い天気になりました。

↓ ルームサービスの朝食

ルームサービスの朝食.jpg

↓ ホテルの前で

アンティーブのホテル中庭.jpg

  ニースに着いたのは13:00頃でした。ホテルは海岸通りのプロムナード・デザングレの東端にあります。15:00まで部屋は用意できないとのことで荷物を預け、タクシーで丘の上のマティス美術館へ行きました。

ニース・マティス美術館.jpg

マティス美術館

 17世紀の邸宅がニースを愛したマティスの美術館になっています。初期から晩年まで数多くのコレクションを展示しています。マティスは40歳代になってから主にニースで過ごし、人物像や室内風景、そして礼拝堂の装飾なども手がけ、傑作を残しました。この美術館には彫刻やデッサンも多数収蔵されています。ここでの見所はヴァンスのロザリオ礼拝堂のために描いた幾枚ものデッサンです。表現が次第にシンプルになっていくさま、その線描を追うのはとても興味深いものでした。

↓ 展示室風景。カメラは禁止なので、美術館のHPから拝借しました


b_interieur05.jpg

↓ 絵葉書「ざくろのある静物」 

 b_grenade.jpg 

 次は丘を下って数分のシャガール美術館へ。

シャガール聖書美術館

  1973年に開館したシャガール美術館は地中海を見下ろす丘の上の白亜の建物です。最晩年に描かれた旧約聖書をテーマにした油彩17点、水彩、版画、ステンド・グラス、モザイクなど展示されています。
ロシア系ユダヤ人だったシャガールは1985年にニース近くのサン・ポールで亡くなりました(享年98歳)。
創作の根底には人種、民族の悲哀や苦悩がありますが、故郷の幻想的なイメージや愛妻べラとの幸福なイメージもまた万人に受け入れられ、賞賛されました。劇場の天井画(パリ・オペラ座 1964)も有名です。

陽光差し込む展示室で華やかな赤、青、黄色主体で描かれた作品群を鑑賞。旧約聖書が題材なので、見慣れたキリスト教の主題とは違っていて、ちょっぴり面食らいました。
「アブラハムと3人の天使」はロシアのイコン画家ルブリョフの「聖三位一体」を思い起こさせます。日本人のグループも多く来館、混雑していました。カメラは禁止。

↓美術館入り口棟 (美術館のHPより)

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↓絵葉書「Le Cantique des Cantiques 1」


Chagall1.jpg

雅歌シリーズ5枚のうちの一枚「あなたのほぞは、混ぜたぶどう酒を欠くことの出来ない丸い杯のごとく・・・」7-2より
幼少のころよりユダヤのファミリーで口承されてきたソロモンの雅歌もシャガールにとっては終生忘れえぬ追憶だったのです。甘い官能が赤い絵の具に溶け込んだような幻想的な絵画です。

シャガールの作品数は膨大で、主な美術館には必ず収蔵されているといってもいいくらいですが、ここで観たシャガールは、やはり最高でした。美術館の広い前庭でお茶をしたあとは、またトコトコ坂道を下り、ニースの近代美術館へ。地図を見ながら美術館を探し、時間がかかりました。丘の上は高級住宅地で治安も良いのですが、下町に入ると少々問題ありな感じで、びくびく。美術館の近くで地元の人に訊いても知らないって言いますし・・・うろうろ。すでに夕方、閉館時間に近くなり、焦りました。ようやく見つけて入館しました。

↓ 入り口付近

ニース近代美術館.jpg

ニース近代美術館

1960年代以降のモダンアート、ポップアート、写真、ガラス工芸、デザインなどの現代美術作品400点以上を展示。美術館は1990年に開館したモダンな建築で、屋上テラスからの眺めも楽しめました。主な収蔵品の中ではニース出身のイヴ・クラインの作品が充実しています。クライン・ブルーを堪能しました。

イヴ・クライン Yves Klein(仏)1928~1962  ヌーヴォ・レアリスムの代表的画家、彫刻家、パフォーマー。ウルトラ・マリン・ブルーの独特な調合をインターナショナル・クライン・ブルーと名づけ、絵画、彫刻だけでなく風船、照明なども青く染め、制作にはお騒がせなパフォーマンスを行ったことでも有名。そのなかの火の絵画と呼ばれるものはここニースで初めて観ました。残念ながらカメラ禁止でその焼け焦げ絵画の画像はありません。

↓ 「空気の建築」(1961) 263×214 絵葉書

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↓ 「タイトルなしのコスモゴニー」(1961) 絵葉書

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午後から3つの美術館を制覇(笑)したのですが、もうふらふら状態でホテルに戻りました。午前中の予定をパスして正解だったようです。ホテルはとても複雑な造りで、まるで迷路です。何度も迷いそうになりました。レセプションは地上階にありますが、私の部屋は海の見える上階ですが、別棟なので遠い~。

↓ ホテルの部屋

ニースのホテル7.jpg

↓ 広いベランダからの眺め。右方向にアンジェ湾とプロムナード・デザングレ

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↓ ホテルのプールには4月でも泳ぐ人。

ニースのホテル1.jpg

↓ 外観はこんな感じ。右下の黄色の建物がホテルの入り口で、私の部屋はその左上のHと書かれた黄色の建物。

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ニースのホテル4.jpg

夕食は海岸沿いから少し入ったレストランの並ぶ広場で。魚介のグリルにレモンをたっぷり絞って素朴な味、プロヴァンスのロゼもGoodでした。

↓ 夕方の花市場で。シベリアン・ハスキー君、名前はアリ。人懐っこくて我が家のちょびにそっくりで可愛い~。

ニース花市ハスキーのアリ君.jpg

ちょっぴりホームシックになりました。札幌はまだ桜も咲かない気候ですが、こちらは初夏の陽気。それでも暗くなると急に気温が下がりました。お風呂に入って就寝。


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2001年春の旅(4)エズ~アンティーブ [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/21  エズ...ニース→アンティーブ

アンティーブ/ホテル インペリアル ガロープ1泊

 朝食はレセプション横のベランダで。朝はかなり気温が低く、朝食もシンプルな内容(これも期待外れ)でした、海をゆっくり眺めることもなくさっさと済ませ、部屋に戻り、9時半ごろにはチェックアウト。

↓ シャトウエザで

シャトウエザ玄関.jpg

ポーターさんに下まで送ってもらい、TAXIでニース駅へ(250F)。列車でアンティーブまで、11時には到着。ホテルはアンティーブ市街から離れた(車で10分くらい)カップ・ダンティーブの海岸近くのリゾート風のホテルです。

↓ 南欧スタイルの素敵なホテル。サーモンピンクの壁に白の窓枠が綺麗!

アンティーブのホテル.jpg

↓ 案内された部屋は1Fベランダつき。エズもそうでしたが、とても良い香り(ハーブ)に建物全体が包まれている感じ。廊下は回廊式、エレベーターの壁はバンブー(竹張り)

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アンティーブHOTEL.jpg

エズに続いて、またまた独りではもったいないほどの素敵なホテルです。しかし、のんびりホテルライフを楽しむ暇はありません。アンティーブ市街に戻り、ホテルで紹介してくれた海鮮レストランで海老のパスタランチ。ピカソ美術館やカテドラルの並ぶ海岸通りや旧市街も日曜日とあって、車や人でごったがえしていました。

↓ 裏通りはひっそり、洗濯物が干され、猫が歩いていていました。

アンティーブ.jpg

さて、ピカソ美術館の昼休みも終わって開館です。

ピカソ美術館

1946年、ピカソはアンティーブのグリマルディ城とよばれる古い要塞に招かれ、ここに滞在して作品を制作。さまざまな素材を使って実験的な制作をしたことでも有名です。絵画、彫刻、陶芸などアンティーブ時代の優れたコレクションを収蔵。

 ただ個人的にはこの時代のピカソの作品にはあまり魅かれませんので、さーっと眺めて、お目当てのニコラ・ド・スタールの部屋へ。ここにはいる人はぐっと少なく、ほぼ独占状態でした。

↓ ニコラ・ド・スタールNicolas de Staël(1914~1955)の写真も何枚か展示されていました

ド・スタール2.jpg

↓ 「アンティーブの城」暗いグレーの色調の作品。ほかの青い色が主体の海の絵など、どれも素晴らしかったです。

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↓ 最後の作品「ラ・コンセール」はガラッと変わって鮮やかな画面になります。この作品に魅かれたのはいつのことだったでしょう。。。

ド・スタール4.jpg

ド・スタールはロシアの貴族の子でしたが、ロシア革命でポーランドに亡命したあと、各地を回り1938年からパリに居住。戦後のエコール・ドパリで最も重要な画家のひとりになりました。抽象と具象のはざまで、その画風の変化と心理的な葛藤があったのでしょうか?ここアンティーブに移住、この地で自らの命を絶ったのです。41歳でした。

この部屋の窓から青い地中海が見えました。その生の愉悦のような輝きが彼には何の慰めにもならなかったことが、哀しく想えました。でも彼の最後に頭に浮かんだのは故郷ロシアの雪の風景だったのでしょう。そこへ還って行ったと思います。

↓ 係員の方が写してくれました。

ド・スタール「La concert」.jpg

ここから海岸の道を5分ほど歩きますとニコラ・ド・スタールの家が建っています。ここから海に飛び込んで自殺したそうなのですが、現在は家の前は自動車がひっきりなしに通る道路になっています。当時はどうだったのでしょう?殺風景な人の気配のない家に窓辺の白いカーテンが風に揺れていました。

ニコラ・ド・スタールの家.jpg

なお、ド・スタールについてネット上で素晴らしいページを見つけましたので、紹介させていただきます。

http://www3.ocn.ne.jp/~quinquin/stael.html

旧市街の狭い通りを散策し、カフェでお茶してから、マダムにTAXIを呼んでもらってホテルに戻りました。

夕食は別棟になっているレストランで。8時のオープンに行きましたが、また一番乗りでした。ここで、今までにない経験をしました。旅の疲れもあり、夕方ベットでうとうとして予約の時間になり、あわてて起きてきたので、あまり食欲もなかったのです。それがソムリエさんも感じたらしく、プロヴァンスの白(シャトウ・ド・ラスク)を勧めてくれました。前菜の白身魚のカルパッチョも超美味しかったのもあって、胃もすっきり、急に体調が回復するという不思議?・・・にっこりでした。お肉はパスしてサーモンのメインにデザートは苺尽くし。この旅で一番美味しい食事になりました。

食後、レセプションの前を通ったら、食事はいかがでしたか?と声をかけられて・・・トレトレボン!贅沢なコートダジュールの宿と食事が続きました。そろそろお財布のひもを締めなければ・・・。


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2001年春の旅(3)パリ~エズ [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/21  パリCDG→ニース(AF)・・・エズ

エズ/シャトウ・エザ1泊

 今日は寒いパリを離れて南フランスのコートダジュールへ。CDGのエールフランスのカウンターは非常に手際が悪く、客の苦情も多く、いったいやる気があるのかと皆で呆れ顔。それでも飛行機は順調に飛び、眼下に見えてきた地中海は青く美しく、折り紙のようなヨットや帆船が浮かんでいます。ニース空港は海に突き出たところなので、地中海からのアプローチ。わくわくしました。空港からはTAXIでエズ村に向かいました。予約したホテルは鷹の巣村の崖の上にあり、途中までしか車は入れません。

↓ ロバさんの納屋の傍に専用の電話があり、運転手さんがホテルに連絡してくれました(TAXI代300F)

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ロバに荷物を載せて登るのを写真で見てぜひ泊まりたいと、このホテルを選んだのですが…ロバさんは通常はお飾りのようでした。お迎えの人は私の荷物を持つと、坂道をたったっと上がっていきます。若い男性なのでその早いこと!「アトンデ モア!」息を切らしながら追いかけて、ようやく到着。

ホテルは名前の通り、古いお城を改装した建物です。1983年まではスゥエーデン皇太子の別荘だったそうで、客室は10室のプチホテル。チェックインしたレセプションからはいったん外に出て違う入口からの2階の部屋でした。このホテルでは一番安いスタンダード(昔は使用人の部屋だったのかも)。ベランダはありませんが窓から無理して首を伸ばすと、左手に海も見えました。部屋は豪華ではないけれど素朴で上品。トールペインティングされた化粧机も可愛いい・・・奥の階段を2,3段上がったところに、小窓つきの浴室。シャンプーなども小さなアルミの小瓶入り、夕方には花瓶いっぱいの花も届けられ、ウエルカムフルーツも細かいところにも配慮が・・・さすがです。独りでは贅沢ですが、ロマンティックな滞在になりました。

シャトウエザの部屋.jpg 

シャトウエザ1.jpg

荷物を置いて早速下のカフェへ。ランチ抜きのうえに先ほどの山登り?でおなかがぺこぺこです。ホテルのテラスからの絶景を眺めながらお茶とサンドイッチ。とても混んでいて満席でしたが、相席になったのがスイス人の中年のご夫婦でした。英語、フランス語、ドイツ語は普通に話せるそうで、何語が良いですか?と聞かれてあたふた(汗)教育関係のお仕事とか・・・サンパな方たちでした。カンヌで休暇を過ごした後、ここはお茶だけに寄られたとか。ひとりでここに泊まってる私に「エクセレント!」って(汗)

コーヒータイムのあとは散策です。ホテルから少し登ったところの植物園へ。↓ 植物園からホテル方向の眺め

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熱帯植物園から.jpg

↓土産物屋さんの犬。飼い主がお店を閉めるまでじっと待っている様子が可愛い。

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↓ 少し坂を下るとエズ村ではここも有名な高級ホテルChateau de La Chevre d'Or です。

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↓夕食にホテル内のレストランに行きました。オープンの7:30では私が一番乗り。全面ガラス張りのレストランからのサン・ジャン・カップ・フェラの眺め。

エズからの眺め.jpg

客層は静かな年輩のご夫婦が多いようです。家の事情で夫婦旅ができませんから、レストランの蝋燭の灯りがロマンティックなので、夫と一緒だったらなぁ~と、ちょっぴり淋しかったです。 ムニュはクリームスープ、海老のホワイトソースグラタン風、ハトのグリル (ラタトイユ添え)、チーズ、梨のコンポートでした。味は普通で、やや期待はずれでした。食事を重視するのならさきほど見かけた、Chateau de la chevre d'Orのほうが良かったかも・・・。

パリの鉛色の空から輝くばかりの明るい春の陽気のコートダジュールに来ました。明日からの美術館めぐりも楽しみです。



 

 


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2001年春の旅(2)パリ [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

4/20

 さすがに4☆美味しい朝食をたっぷりいただきました。ホテルは館内がところどころ改装中でしたので、グレードアップもそのためのサービスだったのかもしれません。

さて、パリの第一日目はホテルから徒歩10分くらいのジャックマールアンドレ美術館へ。昨年に続いての再訪です。昨年は見逃した部屋がありリベンジもありましたが、この優雅な館での美術鑑賞が気にいったのです。日本語の音声ガイドもありました。鑑賞の途中で疲れたらお茶しようと思ったのですが、カフェは11時半にならないと開きません。今回はウッチェロの「龍と戦う聖ゲオルギウス」マンテーニャの「聖母子と3聖人」、そしてお目当てのクリヴェッリ「聖人達」の2点などの部屋へ直行。素晴らしいコレクションです。ほかにはクリヴェッリ弟、カルパッチョ、スキャヴォーネも傑作揃いです。

↓Paolo UCCELLO「Saint-Georges terrassant le Dragon」

Uccello1.jpeg

↓ Carlo CRIVELLI「Predelle de Saints」

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 昨年の春よりは暖かいパリですが、天気の変動が激しく雨が降ってきました。

↓ メトロで北駅近くのサン・ヴァンサン・ド・ポール教会(1844年献堂)へ移動。満開の桜の木を背景に堂々と建っています。しかし、12:00~14:00は昼休みのためクローズでした。ここにはリヨン派のイポリート・フランドランの聖人たちの壁画があるとのことでしたが・・・。

パリ_ヴァンサンドポール.jpg

次は予約していた今夜のオペラチケットを引き取りにオペラ・ガルニエへ。しかし、公演直前に来て欲しいというので、ランチのためにマドレーヌ広場へ向かいました。すると目に涙をためた同年輩の日本の女性があの~と声をかけてきました。同行の娘さんとはぐれてしまって困っているとのこと。1時半のツアーに参加する予定というのですが、集合場所もツアーの内容も娘さんが居ないと分からないというのです。ホテルのマッチは持っていたので、とにかくホテルに帰ったほうが良いわとTAXI乗り場に連れて行って運転手さんにお願いしたら、近すぎるというので、チップをはずむからというとOKでした。無事に娘さんと会えたと思いますが、その頃は携帯電話が今のように普及していませんでしたし。ホテルのマッチが無かったらいったいどうなっていたでしょう。。。

マドレーヌ広場のエディアールの2Fでランチ。とても繁盛していて満席。かろうじてカウンターが空いていました。前菜はカルパッチョ、しょうがの千切りとごまがのった日本風な味でトレビアン!白身魚の蒸した主菜もあっさりして美味、チョコレートムースもGood。フランス料理もヘルシーに変わりつつあるのを感じました。階下のショップでクッキーやティーなど購入して外に出ますと、土砂降りの雨です。

近くのATMでシティ・バンクの預金を下ろそうとしたのですがカードが戻ってきてしまいます。胸騒ぎがしてホテルに戻って東京のシティ・バンクに電話。磁気がおかしいかもしれないので、シャンゼリゼ通りにシティバンクの店があるから、そこで緊急用のCash サービスを受けたらどうかとのこと。来る前に新しくシティバンクに口座を開いて預金をしてきたばかりでした。そのときなんとなく不安になり、いつもより余分に現金を持ってきていたので、南仏はなんとか間に合いそうです。今夜はオペラもありますから、ホテルに戻りました。

夕方から晴れましたので、着物をまだ慣れていない着付けですが、なんとか格好つけてガルニエへ。ガル二エでのオペラ観劇は初体験でした。天井のシャガールや他の装飾も豪華で夢見心地。休憩のときコート預かり所を覗くと毛皮のコートが何着も並んでいました・・・それほど寒いですかぁ~。

♪~ヘンデル『アリオダンテ』 

指揮:マルク・ミンコフスキ  演出:ジョルジュ・ラヴッリ

スコットランド王:クリスチン・シュミッドソン ジェネヴラ:ラウラ・クライコン  アリオダンテ:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター  ポリネッソ:シルヴィア・トロ・サンタフェ  ダリンダ:パトリシア・プティボン

昨年のリヨンに続いて、今年もミンコとオッターの組み合わせでオペラを聴けるという幸運に恵まれました。素晴らしいCD録音の歌手たちとはオッター以外はほとんど変わっていました。演出のせいもあって全体的にはやや期待外れでした。それでも、ミンコフスキとオッターコンビは最高!プログラムの表紙(写真)はカルパッチョの「騎士の肖像」(マドリードのテッセン・ボルネミネッサ美術館)大好きな絵画なのでこのプログラムを手にしただけで興奮(笑)オッターはこの絵の騎士のような黒い武具衣装で凛々しく、素敵でした。歌唱も見事で、特に3幕初めに歌われる失意のアリアの弱音の美しいこと!バロックの演出は難しいのかもしれませんが、ナチ風の兵服や敬礼など好きになれません。ダリンダ役のプティポンの初々しく良く通る声と可憐な容姿は将来楽しみと思いました。

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帰りのTAXIが拾えず、近くの高級ホテルの前へ行くとボーイさんが入口の扉をあけそうになって、「違うのTAXI探しているの」。ボーイさんはちょっと待ってと言って、親切に丁度来たTAXIを止めて車の扉もあけて乗せてくれました。和服姿だったから?

宿に戻り、手持ちのカップラーメンを夜食に食べて(スィートルームで、 笑)就寝。


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2001年春の旅(1)札幌~パリ [南仏美術巡りとパリ、ウィーンオペラの旅]

 ★ 南仏美術館めぐりとウィーン&パリのオペラの旅(4/19~5/3)13泊15日

日程:パリ(2)→エズ(1)→アンティーブ(1)→ニース(2)→パリ(2)→ウィーン(5)

 北海道の長い冬を旅の計画を練ることで乗り切ると、ようやく春になりました。今回は独りでパリと南仏を回ったあと、ウィーンでオペラ仲間と合流するといういいとこどりのプランになりました。旅の記録は手帳にメモ程度のものが残っているだけで、写真もあまりありません。

 4/19 千歳→関空→パリ(JAL/AFの共同便)

パリ/ナポレオンホテル2泊

 関空のエール・フランスの搭乗口近くにゴールドカードのラウンジがあり、初めて利用しました。時間ぎりぎりまでお茶をしたり、雑誌を読んだりできて便利でした。今までこのようなサービスがあるとは気がつかなくて、損しました。AFはJAL に比べるとサービスは良くなくて、食事と食事の間のドリンクサービスもなく、自分で取に行きました。旅の読み物は軽いものでミステリーの『ハンニバル』を持参しました。映画の「羊たちの沈黙」の続編にもなったのですが、映画を観る前にこの本を読みました。かなり残虐なシーンもありますが、フィレンツェが舞台ということもあり、面白かったです。

 パリ着は夕方でしたがまだ明るかったので、凱旋門の近くのホテルに旅装をといた後は、夕食のため外出しました。ホテルの窓から良さそうなレストランが見えたので、レセプションで尋ねたところ、ご案内しますと言って大通りを横切り連れて行ってくれました。さすが!高級ホテルだわ~。なかは混み合っていましたが、ホテルの人がついてきましたから、なんとかテーブルをあけてくれて、3皿のムニュ230Fをオーダーしました。牡蠣のスープ、子牛骨付きグリルのマッシュポテト添え、林檎のタルト。味はまあまあですが、グラスワイン、水、コーヒー、チップ込で300Fくらいでした。

ホテルはダブルの部屋を予約していたのですが、スィートルームにグレードアップしてくれてラッキーでした。今回はオペラ・ガルニエに和服を着ていくので、それなりの?ホテルを選びました。誰も見ていませんが(笑)・・・ところが見ていた人がいたんです。帰国後、あるフランス関連のHPを覗いたところ、ナポレオンホテルに泊まった経験談が出ていて、日本人女性で着物姿のひとが居たって・・・汗。そのあとがいいの「うちの母も派手になったと言わずに着ればいいのに」ですって。

↓ ウィーンで撮ったものですが、グリーンの無地に金ぴかの袋帯。リーダーのO先生がオペラでは派手なのを着たほうが良いとおっしゃるので・・・。

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タグ:パリ
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2000年夏の旅(14&15.16)サヴォンリンナ&帰国 [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/17(月)  サヴォンリンナ11:00→プンカハリュー(Punkaharju)13:15/15:40→18:00

 朝食を済ませ、目の前の遊覧船乗り場へ。今夜はオペラがありますから、3時くらいにはホテルに戻って休息をとらなければなりませんが、それに適した湖遊覧コースがなくて迷いました。しかし、飛行機から見た風景の森と湖を巡ることを諦めることはできなくて、夕方に戻るコースに参加しました。到着からオペラの開幕まで2時間ありますし、船の中ではのんびり座っているだけですから・・・。

↓ 波止場の花壇には百合やアスチルべが咲いていました。

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出航までお散歩。北欧では都会に住み夏休みになると、別荘で過ごす人も多いようです。鄙には稀なといっていいほど、垢抜けた北欧の若いカップルにベビーカーの赤ちゃん。思わず見とれてしまいました。今まで、ラテン系の国に行くことが多かったので、すらりと背の高い金髪の美男美女たちにうっとり。またそれ以上に子供たちの可愛らしいこと!

↓ さて出航。左の建物が泊まったホテルです。

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↓ ほとんどの船はスチーム・ボートだったみたいです。

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↓ まずはサヴォンリンナ音楽祭の会場になっている中世のオラヴィンナ城の近くを通り

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↓ 湖上には無数の小島が点在。コテージ風の別荘が建っています。釣りをしている人も。

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↓ 船内に貼ってあった地図。目的地のプンカハリューまでは赤いライン。

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↓ 船内のカフェで、景色を眺めながら軽いランチ。

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↓プンカハリューに到着。ロシアの境界線まで30Kの町です。鉄道も通っています。

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↓ 同じ船に乗っていた女の子。船着き場で。

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↓ 乗ってきた船は出発まで待っています。

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 さて、私は何処へ?するとフランス人で英語が話せるというカップルが「私たちと一緒に行きましょう」といってくれて助かりました。コテージや遊園地を通り過ぎると、徒歩5分くらいでアート・センターに着きました。ここではこの地方の昔の住まいや狩猟の仕方などが展示されています。壁にはジンべリのポスターが・・・今タンぺリで開催中の特別展のもの。

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↓ センターの前は芝生が広がり、ワンコたちも首輪などつけず、のびのび。

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カフェやショップもありウロウロしているうちに時間になり、船着き場に戻りました。

↓ サヴォンリンナに到着。小さな女の子もお洒落です。

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さて、ホテルで休息、着替えてオペラへ。湖に沿って会場のお城まで徒歩15分くらいでした。

↓ 途中で民族衣装でダンスをする人たち。これも音楽祭の余興の一端かもしれません。

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↓ 少し暗くなってきました。桟橋を渡ってお城へ。

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♪ 『運命の力』ヴェルディ 

指揮:ペルッテイ・ペッカネン  演出:ミカエル・ハンペ

レオノーラ:エレーナ・ザレンスカヤ  ドン・カルロ:ライモ・ルッカ  ドン・アルヴァーロ:カルデイ・カルロドウ プレジオシッラ:ペイヴィ・ニズラ

  @サヴォンリンナ  オラヴィンナ城中庭

♪~オペラ会場は湖に突き出す形で建つ中世の古城です。昼間は晴れていましたが、夕方オペラが始まるころには雨模様になりました。でも、お城の中庭には大きなテントが張られ天候には左右されません。レオノーラの「パーチェ~」のアリアの時、雨脚が強くなってきました。一層の哀れさを誘われ、シーンと静まる会場。自然とアーティスト、観客との一体感は忘れられません。運命の力は東京でゲルギエフの指揮で聴いて以来2度目でした。簡素な舞台でしたが、大きなキリストの磔刑像が見下ろすなかでの悲劇は心打つものがありました。この音楽祭には日本のカメラメーカーも協賛していましたが、見渡せど日本人はおろかアジア系の人も皆無。背の高い北欧人に埋まるような日本人の私はかなり異質?注目を浴びていました(汗)

暗くなった帰り道で、徐々に人も少なくなりましたが、何の心配もなくホテルに戻りました。今日は美しい北欧の景色と音楽を満喫した日でした。明日は帰国の途に就きます。

7/18(火)サヴォンリンナ14:30→ヘルシンキ15:10/17:20→ 

昨日の疲れもあり、正午のチェックアウトまでのんびり荷物の整理。ヘルシンキの乗り換えも国内線と国際線のターミナルは隣接しているのでスムーズでした。国際線のターミナルは日本人も多く、いきなりジャパニーズの世界へ。現実の世界へ(笑)。ショップで木彫りのムーミン人形(別々に売っていて)を5体揃えて購入。ところがスナフキンが足りないことが帰国後に娘の指摘で判明。日本で追加購入しました(高い!)

フィンランドに行ってきましたと言っても、ヘルシンキとサヴォンリンナだけでしたが、居間に飾ったムーミンたちを見てムーミン谷にも行ったつもり・・・。

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7/19(水)成田8:55・・・羽田12:30→千歳14:00

このころはまだ旅の期間は15日間くらいでした。隣家に独りで住む夫の母が85歳を過ぎ、衰えが顕著になってきたころで、放浪癖のある奥さん(夫の弁)としてはそろそろ年貢の納め時かなと思いつつ札幌に帰りました。



 


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