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ロシア.ボルガの船旅&フィンランド ブログトップ
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2000年夏の旅(14&15.16)サヴォンリンナ&帰国 [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/17(月)  サヴォンリンナ11:00→プンカハリュー(Punkaharju)13:15/15:40→18:00

 朝食を済ませ、目の前の遊覧船乗り場へ。今夜はオペラがありますから、3時くらいにはホテルに戻って休息をとらなければなりませんが、それに適した湖遊覧コースがなくて迷いました。しかし、飛行機から見た風景の森と湖を巡ることを諦めることはできなくて、夕方に戻るコースに参加しました。到着からオペラの開幕まで2時間ありますし、船の中ではのんびり座っているだけですから・・・。

↓ 波止場の花壇には百合やアスチルべが咲いていました。

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出航までお散歩。北欧では都会に住み夏休みになると、別荘で過ごす人も多いようです。鄙には稀なといっていいほど、垢抜けた北欧の若いカップルにベビーカーの赤ちゃん。思わず見とれてしまいました。今まで、ラテン系の国に行くことが多かったので、すらりと背の高い金髪の美男美女たちにうっとり。またそれ以上に子供たちの可愛らしいこと!

↓ さて出航。左の建物が泊まったホテルです。

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↓ ほとんどの船はスチーム・ボートだったみたいです。

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↓ まずはサヴォンリンナ音楽祭の会場になっている中世のオラヴィンナ城の近くを通り

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↓ 湖上には無数の小島が点在。コテージ風の別荘が建っています。釣りをしている人も。

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↓ 船内に貼ってあった地図。目的地のプンカハリューまでは赤いライン。

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↓ 船内のカフェで、景色を眺めながら軽いランチ。

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↓プンカハリューに到着。ロシアの境界線まで30Kの町です。鉄道も通っています。

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↓ 同じ船に乗っていた女の子。船着き場で。

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↓ 乗ってきた船は出発まで待っています。

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 さて、私は何処へ?するとフランス人で英語が話せるというカップルが「私たちと一緒に行きましょう」といってくれて助かりました。コテージや遊園地を通り過ぎると、徒歩5分くらいでアート・センターに着きました。ここではこの地方の昔の住まいや狩猟の仕方などが展示されています。壁にはジンべリのポスターが・・・今タンぺリで開催中の特別展のもの。

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↓ センターの前は芝生が広がり、ワンコたちも首輪などつけず、のびのび。

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カフェやショップもありウロウロしているうちに時間になり、船着き場に戻りました。

↓ サヴォンリンナに到着。小さな女の子もお洒落です。

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さて、ホテルで休息、着替えてオペラへ。湖に沿って会場のお城まで徒歩15分くらいでした。

↓ 途中で民族衣装でダンスをする人たち。これも音楽祭の余興の一端かもしれません。

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↓ 少し暗くなってきました。桟橋を渡ってお城へ。

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♪ 『運命の力』ヴェルディ 

指揮:ペルッテイ・ペッカネン  演出:ミカエル・ハンペ

レオノーラ:エレーナ・ザレンスカヤ  ドン・カルロ:ライモ・ルッカ  ドン・アルヴァーロ:カルデイ・カルロドウ プレジオシッラ:ペイヴィ・ニズラ

  @サヴォンリンナ  オラヴィンナ城中庭

♪~オペラ会場は湖に突き出す形で建つ中世の古城です。昼間は晴れていましたが、夕方オペラが始まるころには雨模様になりました。でも、お城の中庭には大きなテントが張られ天候には左右されません。レオノーラの「パーチェ~」のアリアの時、雨脚が強くなってきました。一層の哀れさを誘われ、シーンと静まる会場。自然とアーティスト、観客との一体感は忘れられません。運命の力は東京でゲルギエフの指揮で聴いて以来2度目でした。簡素な舞台でしたが、大きなキリストの磔刑像が見下ろすなかでの悲劇は心打つものがありました。この音楽祭には日本のカメラメーカーも協賛していましたが、見渡せど日本人はおろかアジア系の人も皆無。背の高い北欧人に埋まるような日本人の私はかなり異質?注目を浴びていました(汗)

暗くなった帰り道で、徐々に人も少なくなりましたが、何の心配もなくホテルに戻りました。今日は美しい北欧の景色と音楽を満喫した日でした。明日は帰国の途に就きます。

7/18(火)サヴォンリンナ14:30→ヘルシンキ15:10/17:20→ 

昨日の疲れもあり、正午のチェックアウトまでのんびり荷物の整理。ヘルシンキの乗り換えも国内線と国際線のターミナルは隣接しているのでスムーズでした。国際線のターミナルは日本人も多く、いきなりジャパニーズの世界へ。現実の世界へ(笑)。ショップで木彫りのムーミン人形(別々に売っていて)を5体揃えて購入。ところがスナフキンが足りないことが帰国後に娘の指摘で判明。日本で追加購入しました(高い!)

フィンランドに行ってきましたと言っても、ヘルシンキとサヴォンリンナだけでしたが、居間に飾ったムーミンたちを見てムーミン谷にも行ったつもり・・・。

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7/19(水)成田8:55・・・羽田12:30→千歳14:00

このころはまだ旅の期間は15日間くらいでした。隣家に独りで住む夫の母が85歳を過ぎ、衰えが顕著になってきたころで、放浪癖のある奥さん(夫の弁)としてはそろそろ年貢の納め時かなと思いつつ札幌に帰りました。



 


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2000年夏の旅(13)ヘルシンキ~サヴォンリンナ [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/16(日)ヘルシンキ1320発  サヴォンリンナ着1405

サヴォンリンナ/hotel Seurahuone2

 午後の出発までヘルシンキの市内を散策しました。ホテルは立地がとても良いうえに近くには夏の花が咲き乱れる公園や通りがありました。

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↓ 波止場の野外マーケット

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ここから少し坂を上ってウスペンスキー寺院へ。ここはロシア正教の教会でした。ヘルシンキにはロシア人も多いようです。

 昼には空港に向かい、出発までゲート近くでサンドイッチのランチ。小型の飛行機はヘルシンキから北東の方向に飛び、サヴォンリンナへ。上空からは森と湖が広がり素晴らしい景観です。北海道の阿寒のあたりを何百倍も大きくしたようなスケール!サヴォンリンナ空港は今、催されている音楽祭の宣伝でしょうか、音楽隊が出て賑やかでした。

TAXIで湖畔の宿まで。

↓ 案内された部屋はボウ・ウインドウのある木の床の部屋。

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↓目の前に広がる湖に遊覧船の乗り場。

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↓右方向に野外マーケットのある広場

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明日のオペラのチケットはインターネットで申し込み済みでしたので、近くのオフィスまで行き引き換えました。これで今回の旅で唯一のオペラ鑑賞ができます。楽しみ~☆

夕食は疲れのためか食欲があまりありません。あれこれ近所のレストランを覗いてみましたが、結局は昨晩と同じに中華レストランで食事。コーンスープと八宝菜をいただきましたが、八宝菜に入ってる野菜が人参だらけ・・・八宝菜でなくて三宝菜(涙)

この旅では大部分がツアーなので、いつもの電気ポットや食品を持たないできてしまいました。翌朝行ってみたマーケットには魚介や野菜など美味しそうなものを売ってましたので、少々後悔しました。

サヴォンリンナは静かな湖畔の町です。陽が落ちるとあたりは暗く、ホテルのバーからの音楽も消えると静寂・・・。

部屋にバスタブはなかったのですが、地下にサウナがあるとのことでした。でも、パジャマ姿で廊下を歩けませんし…面倒になってパス。その点、浴衣姿でウロウロできる日本の温泉はやはりスグレモノですね。

                                                                            

                                                                    


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2000年夏の旅(12)サンクトペテルブルグ~ヘルシンキ [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/15(土) サンクトペテルブルグ1235発  ヘルシンキ着1230

ヘルシンキ/ホテル カンプ1泊

 船旅の航行距離は合計で1805キロでした。美しい水の都サンクトペテルブルグに別れを告げて、ヘルシンキに飛びました。ヘルシンキの空港からはツアーから離れ、独り旅です。同じくヘルシンキからフィンランドを回られるBさんご夫妻とは同じホテルでしたので、一緒にタクシーでホテルに向かいました。

ホテルは5☆で通常の部屋代はかなり高いのですが、夏休みに入りビジネス客も少ないのでしょう。お手頃価格で泊まることができました。

↓ホテル・カンプの部屋

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Bさんたちと夕食はご一緒しましょうと約束して、それまではアテネウム美術館の見学をすることにしました。遅いランチは途中で見つけたカフェでサーモンサンド。スモークサーモンはさすが北欧ですが、好みからいうとやはり北海道のほうが美味しいと思いました。美術館への道で猫使いの小さな女の子たちの路上パフォーマンスがありました。3,6,10歳くらいのすごくかわいい姉妹が猫たちを使って輪の中をくぐらせたり高い棒を歩かせたりするのですが、猫がなかなか従いません。特に一番小さい子を馬鹿にして、ひっかいたので痛い!と泣きべそ。娘を育てた身としてもいたたまれない気持ち。両親は何処?って探してみたのですが、わかりません。ああ、それよりもこの子たち美少女を観る男たちのなかには好奇な視線を送る人もいて・・・。暗鬱な気分になってそそくさとその場を離れました。

ホテルからは500mくらいのヘルシンキ中央駅の前に建つアテネウム美術館に着きました。クラッシクで豪壮な館風の建物です。正面の重いガラス扉を開けて中に入りました。

アテネウム美術館

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すると、思いがけず明るい近代的な内部になっています。ここではジンベリの「傷ついた天使」を観るのが大きな目的だったのですが・・・。タンペリという町でジンベリの展覧会を開催中で、そちらに貸し出されたとのことでした。係りの方は列車で2時間だから行ってらっしゃいと勧めてくれたのですが、翌日はサヴォンリンナまで行く予定でしたから、時間の余裕はまったくありません。無理でした(涙)。

↓ ヒューゴ・ ジンべリ「傷ついた天使」(1903年)  127×154 

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↓ ジンベリの風景画などは鑑賞できました。

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フィンランドの象徴派ジンべリの「傷ついた天使」は一度観たら忘れることができない印象深い作品です。世紀末の美術の本で初めて知ったのはいつのことだったでしょうか・・・観ること叶わず本当に残念でした。

帰国してから、彼の作品が版画を含めて18点札幌に来ていたことが判明。私は観ていませんでした。でもカタログはまだ芸術の森美術館で販売されていましたので、他の展覧会に行ったついでに購入できました。

「フィンランド 心の風景 landscape of Finnish Soul」1998年5月16日~6月24日
副題はムーミン谷の冒険ですからムーミンの原画が売りだった展覧会だったのでしょう。

ジンベリがガレン=カレラの影響を受けたことは有名ですが、師の画風をそのまま踏襲したわけではなくフィンランドの中世美術はもとより、ベックリンや同じ北欧のムンクからの「死」のテーマを見つめ、印象的な作品を残しました。半ば憂鬱であり、半ば陽気な気質が彼の作品に観られるのは興味深いことです

この美術館のもうひとつの宝はガレン=カレラの「THE AINO MYTH」と呼ばれる3翼の絵画です。この地方のカレヴァラ伝説を主題に描かれています。まさに森と湖の国の伝説に相応しい作品です。

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また、同時期にフィンランドの天地創造の詩「カレヴァラ」はシベリウスによって、組曲「レンミンカイネン 4つのカレワラ伝説」として作曲されました。

カレヴァラ伝説とは・・・フィンランド人の魂そのものです。森の精・水の精などの自然神を信仰し、自然界のあらゆる現象を神の霊の実現と信じて、口承により長い間伝えられてきました。狩猟の神タピオ、冬と氷の精ヨウカハイネン、太陽の輝きを表すポホヨラの乙女、大気の精イルマリネンらが登場します。19世紀になって研究、解釈の末「カレワラ」(1835.1849)として出版されました。

二人の偉大な芸術家によって、キリスト教が紹介される前の古代フィンランドの文化が消滅する前に新しい視覚と聴覚の輝かしい芸術で示されたことは、フィンランド人の誇りとなっています。

他にも印象に残った作品がいくつかありました。

↓フィンランドの女流画家HELENE SCHJERFBECK「Toipilas」

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 美術鑑賞を終えて、港へ。夕方までまだ時間があります。沖の島に遊覧船が出ているのを聞いて乗り込み、計画外でしたが島ごと世界遺産になっているスオメンリンナ要塞へ。ロシアもですが、写真の保存に失敗したものがいくつかあり、ここスオメンリンナのは全滅(涙)珍しいところを訪問しましたのに・・・。

スオメンリンナ要塞  

 1700年、バルト海支配を巡ってロシアとスウェーデンの間に戦争が勃発。当時スウェーデンの統治されていたフィンランドは一部を1721年の講和条約によってロシアに割譲されました。1772年スウェーデンはヘルシンキのこの小島にロシアへの備えとして城壁を築きました。1809年にはロシア軍によって占領されました。フィンランドが独立したのは1917年のことでした。以後この要塞もスオメンリンナ(武装解除の意)と命名され、現在は文化センターになっています。

自分の印象に残った風景に近い写真をネット上にみつけましたので、画像を拝借しました。

↓ 遊覧船はヘルシンキの港から2kの洋上に浮かぶ小島へ。

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↓ フィンランドが辿った苦難の歴史を思いながら歩きました。今は平和で穏やかなフィンランドです。

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↓ スオメンリンナの周囲は下のような家のある極小さな島が点在しています。

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ヘルシンキに戻りBさんご夫妻と近くの中華料理のレストランへ。明日はもうお別れです。私はフィンランドの東へ。Bさんたちは北のキュミ地方の赤レンガの建築(世界遺産)を見に行かれます。美術や建築のお話で食事の時間もあっという間に終わりました。

ホテルに戻るころようやく暗くなってきました。バスルームの緑のアヒルのおもちゃを浮かべて、久しぶりのお風呂でした。

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2000年夏の旅(11)サンクトペテルブルグ [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/14(金)

10日ほどのクルーズの最後に、サンクトペテルブルグに3停泊しましたが、この日がロシアの最後の観光になりました。午前中は郊外の夏の宮殿へ。

●ピョトール大帝の夏の宮殿

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↓ツアー客のために歓迎の演奏

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↓広大な宮殿と庭園を巡りました。

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↓ 噴水と彫刻のある展望台からバルト海が見える、超人気の景観。

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さて、市内でランチの後はエルミタージュ見学をしました。世界最大級の美術館はロマノフ王家の豪華で広壮な冬宮にあります。ツアーの制限時間の2時間ではほんの一部しか見られません。それは出発前から覚悟していたことですが、自分なりに鑑賞が欠かせない画家の作品があり、入り口で添乗員さんに断って、独りで行動することにしました。
 

エルミタージュ美術館

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↓入口から展示室への大階段

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まず、館内地図をたよりにイタリア・ルネッサンスの部屋へ。ここにはダ・ヴィンチの「ブノワの聖母」と「リッタの聖母」があり、館内一番の混雑でした。小品ながら量感豊かな「聖母子」2点の前には行列して順番を待ちました。ここですでに30分ほどたってしまいましたが、ポントルモの「聖ヨセフと洗礼者ヨハネを伴う聖母子」の明るい色彩に目を見張り、ジョルジョーネの「ユデット」の慎ましやかな伏し目のユデット、その詩的な背景に魅入りました。

それからいくつもの宝飾、絨毯や家具などの部屋を飛ぶように通過して、レンブラントの部屋へ。「イサクの犠牲」「聖家族」「ダヴィデとヨナタン」などの傑作の数々。しかし、「フローラに扮したサスキア」は貸し出し中のため観られず・・・。そして、別室に「ダナエ」。何年か前に展示中に傷つけられるという事件があり、その修復の過程などの説明パネルなど。この細長い部屋の奥に(ここまで来る人はあまりいなくて、ひっそり)にカラヴァッジョの「リューを弾く若者」↓があり、独占状態で観ることができてシアワセでした。

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↓レンブラント「聖家族」(46.5×68.5)

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↓レンブラント「ダナエ」(185×203)

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↓部屋から部屋へ時間を気にしながら巡り歩いていて、ふと上を見上げると美しいガラス張りの天井と彫刻がここは豪奢を極めた宮殿ですから、もっとゆっくり部屋の装飾も眺めながら歩くべきなのです。


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そうは思いながら、自分の来た方角や部屋を頭の隅に置きながらの名画鑑賞です。団体で美術館に来たことを激しく後悔しました。

↓それでもスペインのスルバランの「聖母マリアの少女時代」でピタリと足が止まりました。あどけない少女のマリアに「そんなに急いでどうするの~」と言われたみたいでした(笑)

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最後のマティスの部屋までの遠かったこと!「ダンスⅡ」「赤い部屋」「家族の肖像」など装飾的な円熟期のマティスの魅力あふれる名作が部屋の壁を埋め尽くしています。

↓マティス「赤い部屋」180×220の前で記念撮影(ポラロイド)

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↓マティス「家族の肖像」

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↓マティス「ダンスのある静物」89×116

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この部屋でツアーの方たちと合流できましたので、なんとか迷子にならずに済みました。ひどく疲れました。絵画だけでもまだまだ観たいものがあります。いつか再訪したいと思いながら船に帰りました。  

ひと休みして元気になり、夕食後は昨夜に続いてバレエ鑑賞(希望者のみ)に行きました。劇場の名前は忘れましたが、クラシックで素敵な小劇場でした。でも、古くて椅子がガタガタ、肥満体の方は要注意。日本にも来ているというレニングラードバレエ団の公演でした。サンクトペテルブルグでは第2のバレエ団だそうです。指揮者は日本人で、常任ということでした。

ロシアのさまざまな思い出とともに、船での最後の眠りに就きました。初めは気になった船底のエンジン音にも慣れ熟睡。



 



 


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2000年夏の旅(10)サンクトペテルブルグ [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/13(木)

 船はネヴァ河に入りサンクトペテルブルグの市街地の郊外に停泊しました。朝食の後は早速ツアーバスに乗って市内見学をしました。

まずはエルミタージュ冬の宮殿(美術館)の対岸にあるペトロパヴロフスク要塞からその眺めを楽しみました。朝は生憎の雨模様でしたが、次第に晴れてきました。

↓円柱の立つペトロパヴロフスク要塞

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↓聖イサク寺院

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↓聖イサク寺院の前の広場

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↓ニコライ1世の像の広場

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青銅の騎士像」

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↓上の像のあるデカブリスト広場

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↓血の上の教会/1881年にアレクサンドル2世が暗殺された場所に造られた教会。一見カラフルで美しいだけに、この悲惨な事実やこのあとのロシアの血塗られた歴史がなおさらに恐ろしく思えました。

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↓●国立ロシア美術館ミハイロフスキー宮殿)

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ミハイロフスキー宮殿は、19世紀初頭におけるロシア新古典主義建築の傑作です。

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↓階段室にエカテリーナ女帝の像

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ここロシア美術館はイコンと現代美術のコレクションが充実しています。カメラOKでした。

↓ここのイコン・コレクションのなかでもぴかイチの傑作。

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↓ 閉まっている部屋もあり残念。

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レーピン Repin(1844~1930)ロシア・リアリズムの画家。19世紀後半に数々の名画を制作。風俗画の分野では当時のロシア社会の矛盾に満ちた現実を見つめた大作を描いた。歴史画、肖像画にもすぐれた作品が多い。

↓レーピン「創立100周年記念日1991年5月7日の国家評議会の記念祝典」

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レーピンは傑作揃いで、下の「サトコ」のほか一時小樽にも貸し出されていた「ヴォルガの舟曳き」などに再会。

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そのほかマレヴィチの「牛とヴァイオリン」「赤い正方形」など多数。

モスクワでトレチャコフ美術館に行かれなかったのは心残りでしたが、ここのコレクションもなかなか素晴らしかったので、納得のサンクトペテルブルグ初日の観光でした。

船での夕食の後は再度市街に行き、マリインスキー劇場でバレエ「ラ・シルフィード」を観ました(希望者のみ)。マリインスキー・バレエはさすがに水準の高い公演でしたが、ここではやはり、ゲルギエフの指揮するオペラが見たかったです。

劇場はやや古びてはいましたが、グリーンに塗られた外観が素敵でした。この夜は中国からの団体客が多く、踊っていてもかまわずフラッシュをたいて写真は撮るわ、変なところで拍手はするわでめちゃくちゃな人たちでした。Bさんご夫妻と憤慨しながら船に戻りました。

        


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2000年夏の旅(9)ラトガ湖~ネヴァ川~サンクトペテルブルグ [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/12(水)終日クルーズ/サンクト・ペテルブルグ深夜着 キジ~サンクト・ペテルブルグ(565キロ)

ラトガ湖を横断しましたが、見渡す限り陸地が見えません。まるで海の上のようで、広大なロシアの国土を実感しました。この日は深夜にサンクトペテルブルグに到着しますが、そのまま停泊します。

この日は一日のんびり船内で過ごしました。オーストリア船籍の船なので、「ウィーンアフタヌーン・ティー」のお茶の時間もあり、ザッハートルテをいただきました。旅の間に親しくなった方たちとのおしゃべりや部屋でとろとろ仮眠したりしているうちに夕食の時間になりました。今夜が実質のんびりできる最後の夜ということで、船長さん主催のディナーパーティがありました。キャビアとシャンパンもありました。

↓ 私たちのグループ担当のサービス係の女性たちと記念写真。

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↓ ご馳走を食べてご機嫌な私(ポラロイド)

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食事が終わって、デッキで酔い覚ましをしていました。かもめが船と同行して飛ぶのを不思議に思ってましたら、どうやらパン屑がお目当てのようです。同じツアーの女性の方がパンの残りをもらってきて、それを放ると上手にくわえて食べるので、私も何度かあげているうちに「あ~っ!指輪がぁ~」と悲鳴を上げたのが、同行の方。パン屑と一緒に指輪が抜けて飛んでしまったのです。彼女の顔が青ざめていました。今夜はパーティだったので、高価な指輪だったのかも・・・お気の毒でした。

ディナーでいただいたキャビアがとても美味しかったので、船内の土産物屋で扱っていると聞き、見に行ったのですが、下船後は延泊や移動がありますし、断念しました。

明日、明後日はサンクトペテルブルグの観光です。なんといってもエルミタージュ美術館が楽しみです。

 


タグ:ラトガ湖
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2000年夏の旅(8)ゴリツィ(白湖)~キジ島(オネガ湖) [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/11(火) キジ島15:00着 /18:00出航  ゴリツィ~キジ(375キロ)

 白湖の白夜。美しい夕焼けのなか、静かに船は進み、朝には目覚めるとオネガ湖に入っていました。残念なことに昨日までの青空は嘘のような雨模様の朝でした。キジ島が見えてくるのを、30分前には甲板に出て眺めました。カレリアは夏でもこんなに涼しいのでは冬はどんなにか・・・北海道よりも寒いでしょう。広大な湖に浮かぶ無数の小島や半島には森が広がり、農家や家畜が点在しているところもありますが、人影もあまりありません。幻想的な景色のカレリアでした。うっすらと立ち込める靄の彼方にキジ島の教会が見えてきたときはやはり感動しました。誰からともなく拍手がおきました。船でキジ島へ来れるというのがこのツアーの最大の魅力でした。

 船着き場からは徒歩でキジ島の観光をしました。ここキジ島は特別なガイドさんがつきます。流暢な英語を話す青年は専門は美術史とのことで、詳しくいろいろ説明してくれて、さすが、ロシアの世界遺産と感心しました。

キジ島のプレオブラジェンスカヤ教会

16世紀にはすでにこの近辺の中心的な教会として存在していたのですが、1690年の落雷によって焼失。その後の再建は1714年。22の玉ねぎ型ドーム、最上部は高さ37メートルというまさに「木造建築の奇跡」と呼ばれるにふさわしい聖堂です。ブレオブラジェンスカヤ教会には暖房が無く夏季専用の教会でしたので、1764年に隣接する形で9つのドームを持つポクローフスカヤ教会が建設されました。1874年には鐘楼も建立され、こうして160年の歳月を掛けて、3つの木造教会建築によるアンサンブルが完成したのです。これらの建築において最も特筆すべきひとつに釘をまったく使用していないことが挙げられます。鉄以外の金属はおろか、目地さえも木から作るという徹底振りを無名の職人たちはなしとげました。棟梁はこの教会が完成したとき大工道具を湖に捨てたと言われています。

ただ木造建築の宿命でしょうか、かなり傷んできています。日本の建築家の協力で修理の方法を研究中とのことですが、手を付けるとそこから木の腐敗が余計に進むことになって、かなり困った状態とのことでした。これは2000年の訪問時の状況で、現在はどのようになっているのかは分かりません。好転しているといいのですが・・・。

↓ 3つの木造教会群(Wikipediaより拝借)

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↓ 遠望

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↓ 左手に木造教会群。右には移築された大きな農家の建物で、内部はこの地方の暮らしぶりがわかるような展示になっています。民族衣装のかわいい娘さんが機織りをしていました。

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↓ プレオプラジェンスカヤ教会

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ほかには小さな教会や農家などの木造建築もこの島に移築されています。

↓ 天使首ミハエル聖堂

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船着き場のお土産屋さんで版画を購入。我が家の玄関はいまだにロシアのお土産コーナー(笑)

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住んでいるところも北の国なので、なにげに雰囲気があってるのが、お気に入りの理由かしら。

さて、キジ島が遠くになっていくのをデッキでじっくり眺めました。こういうとき詩心があるといいな~文才のないわが身を情けなく思いました。いつもはそういうことはあまり考えないのですが・・・汗。

オネガ湖を西へ、サンクトペテルブルグを目指して船は進みました。この日だったか翌日だったか?小さな村に寄りました。村の名前は忘れましたが「ねずみ村」の別名があるようで、船着き場の出店には手造りらしいネズミの飾りが並んでいました。あまり可愛くないので買う人は少なくてお気の毒でした。ここにはもう夕方だったせいか子供たちの姿はありません。30分ほど村の散歩をしましたが、ネズミがあちこちから顔を出しそうな・・・古びた、悪く言えばうす汚れた通り(もちろん無舗装)ですが、何軒かの民家が可愛らしく建っていました。

↓ この地方の伝統的な民家の建物

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この日は村祭りだったらしく、荷馬車に乗って帰る家族の姿に・・・夏休みになると農家の叔父(母の兄)が町まで荷馬車に乗って、私たち兄姉妹を迎えに来てくれて、ごとごと揺られながら遊びに行ったものでした。懐かしくて涙が出そうでした。

船に戻り、次は海のように広いラドガ湖を横断、サンクトペテルブルグまで航行します。明日の深夜の到着までほぼ一日以上かかる終日クルーズでした。


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2000年夏の旅(7)ヤロスラヴリ~ゴリツィ(白湖) [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/10(月) ヤロスラヴリ~ゴリツィ(390キロ)

昨夜は白夜の太陽が沈むルイビンスク湖を通過、朝にはペーロエ湖(白湖)のゴリツィに到着しました。同じ船に乗っていた人たちは混載のバスで、10分ほどのキリルロフへ。

キリルベロゼスキー修道院 (白湖の聖キリル)

1397年モスクワの北500kの白湖近くに聖キリルが創設した厳格な戒律で知られる大修道院です。初めは木造の聖母被昇天礼拝堂と修道院の建物が建設され、モスクワ大公による庇護援助のもとに発展。1427年に聖キリルが90歳で死去した際にはモスクワから皇子が参列したそうですから、修道院としての名声が伺えます。

↓修道院の入り口で

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↓荒廃した修道院。 最盛期には200人もの僧が住んでいたのですが、現在(2000年当時)は2人が残っているだけとか・・・。

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白湖・聖キリル修道院Ⅰ.jpg

修道院付属美術館を見学しました(カメラOK)。HPには修道院の見取図もあります。

http://www.kirmuseum.ru/en/

素晴らしいイコン画が並ぶギャラリー

↓15世紀の作品(木、テンペラ)

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↓16世紀、確か「雪の聖母」とサブタイトルがついていました。

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↓イコンの天使

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当然ですが彫刻は1点もありません。

↓美術館の窓から見える聖母被昇天のチャペル

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↓ 他にもいくつかの教会が点在していますが、実際内部に入れたのは一か所だけ(キリスト変容教会だったかしら?)

聖キリル内教会.jpg

↓修道院の人懐っこい猫たち

キリル・猫3.jpg

インターネット上はおろか、ほとんど情報のないころでしたから(地球の歩き方にも載っていなかった)この修道院の素晴らしさにツアーのほかの方たちも大喜びでした。昼ごはんは船で食べることになっていたので、しぶしぶ戻りました。

船着き場のお土産屋さんで手編みの木綿のセーターを編みながら売っているのを見て、購入(1000円)。ランチのとき早速着用しました。そのとき買った人たちが何人か着てきたので「考えることは皆同じ 笑」でした。旅の間中Tシャツの背中にかけたり、素朴な風合いがロシアの旅にぴったりで、重宝しました。

↓ 船着き場のお土産屋さんの犬

白湖・犬.jpg

白湖には限りませんが、どこも水辺には柳蘭が群生していて綺麗でした。ロシアの思い出といえばこの光景が目に浮かびます。

白湖花.jpeg

柳蘭1.jpg

午後には出航し、カレリア地方(というよりカレリア圏)へ北上します。

最初にお知り合いになったAさんご夫妻がペントハウスのお部屋に招待してくれました。煎茶と羊羹のおもてなしに感激でした。一言付け加えますと、お茶によばれたのは私だけではなく、毎日のように2~3人が招待されていました。

時々アップするポラロイドの写真はAさんが撮ったその場でくださったものです。もちろん私だけではありませんし、土地の子供たちにも撮ってあげていました。今でも微笑ましく思うのは、どうしても可愛い女の子を写してしまうのですが、あるとき男の子が泣きべそをかいていたのにAさんが気が付き、慌てて写してあげるからと優しく接していたその姿が思い出されます。

船が着くと子供たちが寄ってきて、その辺で摘んできた野の花(百合やマーガレット)を小さなブーケにして売っていました(原価ゼロ 笑)。うるさくまとわりつくこともないので、買わずに済ませることもできたのですが、にっこり笑う顔が可愛くて、買いました。一束5円~10円くらいですし、リュックの背につけたり、船室に飾ったりして楽しみました。


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2000年夏の旅(6)ウグリチ~ヤロスラヴリ [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/9(日)ヤロスラブリ1500着 18:00発 ウグリチ~ヤロスラヴリ(209キロ)

 毎朝、朝食の前にデッキでストレッチ体操のクラスもありました。指導の若い女性は見覚えがあると思ったら、レセプションの係りの方でした。他にも兼務の仕事をしている従業員の方が多く、きびきびとした働きぶりでした。また食事のサービス係はロシア人よりウクライナとか周辺の小国からの若い女性が多く、なかには日本的な顔立ちの方もいました。日本人ツアーのテーブルに同じ人がつくので顔見知りになり、下船のときはお別れを惜しんでくれました。日本人以外はドイツ人が多く、朝の挨拶も交わしたり、友好ムードでした。

↓ 船からは荒れた教会や改修工事中のところも多く見かけました。

船から見えた荒れ果てた教会.jpg

さて、ヤロスラブリ州の首都であるヤロスラブリに到着。ウグリチと同様の「黄金の環」に名を連ねる古都ですが、なかではここヤロスラブリが最大の町であり、2005年にはユネスコの世界遺産にもなりました。多くのロシア正教会の聖堂が残っている歴史地区の観光をしました。街の紋章は「熊」。

預言者イリヤ教会(イリヤ・プロロク)

17世紀に遡る「ヤロスラヴリ式」と呼ばれる、赤レンガで建てられ白い明るい色のタイルを外観に張った聖堂がいくつかあり、預言者イリヤ聖堂(イリヤ・プロローク聖堂)はその中でも代表的なもので、北東ロシアの「黄金の環」と呼ばれる古都群の聖堂の中でも印象的なフレスコ画で飾られています。

↓ 内部はカメラ禁止なのでNETから拝借。奥行きの浅い祭壇の後にそびえる豪奢なイコノシタシス(信者用の身廊と至聖所を分ける)

400px-Inside_of_Church_of_Elijah_the_Prophet_in_Yaroslavl.jpg

 そうそう、玄関入口のところにロシアの青年が古本を抱えて、売っていました。英語も話し、ここはカメラ禁止だからと「ヤロスラブリ」という本を勧めます。貧しくも知的な感じのする青年に思わずお財布を出してしまいました。1500円くらいでした。

↓表紙が聖イリヤ聖堂です

ya roslavl1.jpeg

18歳で上京した頃(1960年代初め)には、駅で自作の詩集を売っている人がいたことを想い出しましたが、こんな風に数冊の本を抱えて、控えめに立っている人を見たのはこの時が初めてでした。このころのロシアはソ連時代からの脱却がまだ地についていない、経済的に困難な時代でした。大学の先生でもタクシーの運転手をしているなどの話もあった頃でした。

ロシアの聖堂については詳しく書きたいのですが、記憶が薄れているうえに教会の名称がまちまちなので、この現地で購入した本を見ても?困りました。一応ツアー会社のHPとWikipediaを参考にしています。

スパソプレオブラジェンスキー修道院

ヤロスラヴリで一番古い建物は、救世主修道院(スパスキー修道院)にある救世主顕栄聖堂(スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂)である。現在の聖堂の建築年代は1506年から1516年にかけてで、1216年から1224年にかけて建設された最初の聖堂の基礎の上に建てられた。16世紀には石の城壁が修道院の周りに建てられ要塞となった。動乱時代のロシア・ポーランド戦争で、ポーランド軍に占領されたモスクワを解放するため、クジマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキー公爵の国民軍はこの修道院から出撃した。1787年には修道院は閉鎖され、建物はヤロスラヴリおよびロストフ府主教の邸宅に転用され、建物の増築や再建が行われた。

↓ 鐘塔

予言者イリヤ教会.jpg

↓修道院の庭で鐘の演奏する青年。自分で作曲もするそうです。

鐘の演奏家・作曲もする.jpg

↓ 同じく修道院の庭にて(ポラロイド)。背景に見えるのはChurch of Epiphany(ここは遠くから見ただけ)

2000.7 ロシア1.jpeg

↓ 上と同じ場所でこちらはデジカメです。初めてのデジカメは今のものとは比べものにならない画像数で、SMも500MBで8000円くらいと高価、けちけち撮ってました。

ヤロスラブリ・教会.jpg

他には子供のための人形劇場も見学しました。子供たちは100円くらいの入場料だそうですが、経営が苦しいとのことで、こうして観光客に来てもらって少しでも補助になるようにしているのでしょう。人形遣いの人が「蜜蜂マーヤ」の人形を見せてくれました。なんと懐かしい~!幼かった娘たちが大好きなアニメで、絵本も何度も読まされました。マーヤってロシヤ語っぽいのでロシアがオリジナルと思いましたが、ドイツのアニメだそうです。あの劇場はその後どうなったでしょう?

時々ポラロイドの写真をアップしています。写りは悪いのですがツアーでご一緒した方が撮ってくださったので、大切に保管していました。この旅日記を終えたら写真はすべて整理するつもりです。

夕食の後はピアノ演奏会がありましたが、疲れてお部屋で休息、そしてシャワーを浴びて就寝。

                            
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2000年夏の旅(5)モスクワ~ウグリチ~リビンスク貯水湖 [ロシア.ボルガの船旅&フィンランド]

7/8(土)ウグリチ1530着/1730発  モスクワ~ウグリチ(266キロ)

 いくつもの水門を通過し、ほぼ24時間かかってモスクワからボルガ河を北上し、ウグリチに到着しました。直線では200Kほど離れていますが、蛇行する河をゆるやかな速度で運航します。ロシアの大地を流れる大河とはいえ、運河も張り巡らされていますから、水深も浅く川幅も細いところもあり、船長さんのお話ではかなり難しい航行も部分的にあるとのことでした。正直かなづちなので怖いなあと思いました。

↓ウグリチの船着き場から血の上の教会が見えました。

船着き場からの血の上の教会.jpg

↓ 町の小さな広場に小さな子供のダンサーが・・・上手に踊って見せて、さすがバレエやフィギアスケートなど有名なお国柄です。学校はこの日は土曜日だったのでアルバイト?

ウグリチ・ダンスの子供達.jpg

ウグリチには先ほど船着き場から見えた血の上の教会の近くにも立派な教会(プレオプラジェンスキー変容教会)があり内部を見学。修道僧のグループの聖歌アカペラを聴きました。

↓そしてイワン大帝の幼い息子が殺されたという舞台の、その名も血の上の教会(ドミトリーナクラヴィー教会)へ。

ウグリチ・血の上の教会入口.jpg

血の上の教会・壁画の天使.jpg

 この悲劇はプーシキンの原作により、ムソルグスキーが作曲したオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』にもなり知られています。イワン大帝の死後、1591皇帝後継者の8歳だったドミトリーがウグリチの館で殺され、当時摂政だったボリス・ゴドゥノフが暗殺したという噂が流れ、大動乱の時代に突入。偽ドミトリーを旗頭にポーランドの侵攻を受け、その後ロマノフ王朝によってロシアは統一された後、ロシア正教会によって皇子ドミトリーは列聖され、聖人になりました。ウグリチは巡礼の地となり、館の跡地に教会が建てられたのは1690年でした。

オペラはウグリチを訪れる3年前にザルツブルグで観たこともあって、このストーリーには大いに興味がありました。ドミトリーが死んだときに鐘を鳴らして人々に知らせた家臣?は舌を切って流罪にされたとか・・・公式には事故死ということでした。今はその説が正しいとみなされています。当時の鐘は今も残って堂内に保存されています。ヤロスラヴリ州の小さな古都ウグリチには美しいいロシアの教会がいくつも残っていて、*黄金の環の都市のひとつとして今はかなり有名な観光地になっています。

次の停泊地のヤロスラヴリは直線では100Kもありませんが、迂回したヴォルガに沿って進み(多分夜間は停泊していたようです)翌日着きました。

船内は夕食後の催しも多く、ピアノ演奏会やロシア民謡の夕べ、ロシア語教室など盛り沢山。退屈する暇もありませんでした。

*黄金の環(Wikipediaより)

ロシア史、ロシア正教会における精神文化、芸術、建築などにおける源流が形成された地域として重要視される。これらの都市は、11世紀から15世紀末にイワン雷帝が各地を征服し中央集権体制を構築するまで、ロシア諸公国の首都として栄華を誇った。都市自体が野外建築博物館とも言える。12世紀から18世紀におけるロシアの都市に特徴的なクレムリン(城塞)、修道院、大聖堂、教会を擁する。

「黄金の環」の都市が観光地として喧伝されるようになったのはソ連時代の1974年のことである。ソ連崩壊後も外国人向けの観光地として整備が進められている。

「黄金の環」の都市には今回訪れたウグリチ、ヤロスラブリの他に、スズダリ、セルギエフ・ポサード、ペレスラヴリ・ザレスキー 、ロストフ、コストロマ、イヴァノヴォ(イワノボ)、グス・フルスタリヌイ、ウラジーミル、 ルイビンスク、アレクサンドロフが含まれています。黄葉の美しいころ(9月)は文字通り、黄金に輝く珠玉のロシア聖堂や建築が各地で観られるとか、きっと素晴らしいことでしょう~☆

  


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