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2002 秋プーリア・ロマネスクの旅 ブログトップ
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(14&15)トリノ&帰国 [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/16(水)


 昼のチェックアウト時間まで、ぎりぎり部屋で過ごし長旅の前の休養。ランチはホテル近くのカジュアルだけれどと、勧められたレストランで、トリノ最後の食事を愉しみました。午後からはトリノ市内の観光。もう一度昨夜通ったガッレリアGalleria Subalpinaへ。写真はWikiから拝借


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ここは古本屋さんやレトロな切符売り場の映画館など。古き良き時代のトリノを想わされる場所です。

そしてトリノの聖骸布があるというドゥオーモにも行ってみました。高校がカソリック系のミッションスクールでしたから、キリストの磔刑の後に十字架から降ろされて遺骸を包んだ布にキリストの姿が印されたという話は詳しく聞いた覚えがありました。せっかくトリノに来たのだからと・・・しかし、ドゥオーモには等身大の写真が残るだけでした。でも熱心に祈る信者さんたちの姿。。。

追記:本物の聖骸布は専用の博物館に移され展示されています。


☆トリノのドゥオーモ

15世紀の終わりごろにルネッサンス様式で建立。白い大理石ののファサード。3つの扉口。内陣から続く階段を上るとサン・シンドネ礼拝堂(以前はここに聖骸布が保管されていました)




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街の散策とカフェのお茶タイムをしているうちに出発の時間になりました。トリノに入ったときと同じルートでミラノ・マルペンサ空港へ戻ります。

トリノ17:07→ノヴァーラ18:11/18:1530→ミラノ・マルペンサ空港19:10頃/21:30→


ノヴァーラまでの列車が数分遅れはらはら、おまけに乗り場も間違えてしまいましたが、バスも15分遅れて発車したのでセーフ!バスには地元のおばさまグループが数人いて、運転手さんと顔見知りらしくお喋りで賑やか。そのうちロンバルディア名物の濃い霧が立ち込めてきて、対向車が見えないくらいに・・・一瞬ヒヤリの場面で急ブレーキ!危ういところでした。おばさまたちのお喋りも静かになって・・・空港に無事到着。


10/17(木)→成田16:10/18:20→千歳19:55


その後は順調に乗り継いで、札幌の我が家に帰着。治安が悪いという南イタリアのプーリアを主に回った旅でしたが、終わってみれば体調や天候もまずまずで、良い旅でした。それも夫の理解があったからこそ(諦めているのかも 汗)と感謝しつつ終わります。



タグ:トリノ
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(13)トリノ(アスティ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/15(火)

 イタリアの朝ごはんはあまり期待できないのですが、ここはさすがに豪華版です。日本人のビジネスマンがひとりいましたが、ほかはエコノミーな旅人は私くらいで、なんか場違い・・・。

↓ホテルの朝食室


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昨日のスマートメディア紛失事件がまだ尾を引いていたのですが、食欲は旺盛(笑)フルにいただいて、トリノ中央駅へ。駅でスマートメディアは売っていませんでしたので、仕方なくポラロイドの使い捨てカメラを購入。写真はパソコンに入れなかったので、行方不明になってしまいました。Google Earthから拝借します。

トリノ9:10→アスティ9:40

アスティの駅からサン・セコンド教会~サン・ピエトロの円堂を見学。この夜はオペラがあるので、遠くへは行けません。アスティの観光の後ランチを済ませてトリノに戻りました。

先ずはサン・セコンド教会へ。地図を見ると駅から至近距離なのですが、近い道を選びながら、結局は遠回り【汗)


サン・セコンド教会San Secondo

13世紀から15世紀の間にロマネスク=ゴシック様式で建てられた教会。3つの扉口と3つの薔薇窓、3列に分割されたファサード。クーポラはロマネスク様式。


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サン・セコンドからアスティ駅前の大きな広場を抜けて徒歩数分で、アスティで一番有名な中世の建築物が通りに面して建っています。受付に見学者の名簿があり、何日か前に訪れられたKikukoさんのサインを発見!


☆サン・ピエトロの円堂Rotonda di San Pietro

12世紀の建立ですが、1280年に洗礼堂に改築されました。外形は8角形、内側は円形、煉瓦造。洗礼堂のそばに建つのはサン・ピエトロ・イン・コンサヴィア教会(15世紀)


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 駅に引き返す途中のレストランでランチ。1Fはカジュアル、2Fがフォーマルなレストランになっています。気張って2Fへ。ここで最後のキノコ料理をいただきました。アスティはピエモンテのワインで有名なところなので、この時期はミラノあたりからもグルメのお客さんが来ていて、隣のテーブルは日本人駐在員の奥様グループ数名(噂話には花が咲く 笑)。昨夜の素朴な料理と違い、凝っていましたが、驚くほどの美味しさでもなくまあまあ★★


アスティ14:17→トリノ14:55

仮眠の後はオペラへ。初めてのトリノ・テアトロ・レッジョへ。


♪~R・シュトラウス『カプリッチョ』20:30開演


指揮:Jefrey Tate 演出:Jonathan Miller オーケストラ:トリノ・テアトロ・レッジョ管弦楽団

La contessa Madeleine:Elizabeth Whitehouse  Il conte:Olaf Bar  Flamand:Jonas Kaufmann
Olivier:Claudio Otelli  Clairon:Doris Soffel  La Roche:Franz Hawlata
 


 R・シュトラウスがこのオペラを作曲したのは1942年のこと。第二次世界大戦の真っ只中でR.シュトラウスが、自身の芸術的な「遺書」と評した最後のオペラです。知的で繊細な音楽と簡素な舞台。時代背景は作曲された頃に設定され、大戦時の芸術家の想いが表現されています。最終シーンは戦火に燃えるドームの建物。ベルリンの空襲?またはヒロシマを連想させられました。

休憩なしの1幕物の2時間余り、詩人と音楽家の恋のさや当てに名を借りた、オペラへの愛情告白ともいえる作品。歌手もそれぞれ水準が高かったのですが、予習のCDで聴いたClaironがオッターだったので、この役は不満。開幕前にハウラータの調子が悪いとのアナウンスがあったが、低音が少し響かないかな?くらいで、演技も巧いしで問題なし。特筆すべきはこのとき初めて聴いたテノールのカウフマン、凄い新人が現れた「見っけ!!」と興奮状態。(当時は色白細身のハンサム)。ただ最後の合唱は声が埋没してしまう程の線の細さで懸念が残りましたが。


後記:この後、数年はあまりぱっとしなかったので残念に思ってました。この後に映像で観たチューリッヒのティト帝も声が重くなっていて・・・生のパフォーマンスはこの後の2006年(エジンバラ音楽祭)でしたが、イメージチェンジも成功して、ついに大ブレイク!今や最もチケットの入手困難なテノールの大スターになりました。

情熱的なイタリア歌劇とはかけ離れた地味な作品なので、途中席を立つ観客が多くて驚きました。しかし、一方では文化の薫り高いトリノの名に恥じない熱心な観客も多数で、安堵。テイトの指揮も素晴らしくR・シュトラウスの曲想の奥深さを感じさせてくれるものでした。


↓プログラム


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参考映像: リヒャルト・シュトラウス(1864-1945)<カプリッチョ>
Cappiccio
クレメンス・クラウスとリヒャルト・シュトラウス
による音楽についての1幕の対話劇
 
伯爵夫人・・・・・・・・・キリ・テ・カナワ(ソプラノ)
伯爵・・・・・・・・ホーカン・ハーゲゴード(バリトン)
フラマン・・・・デヴィッド・キューブラー(テノール)
オリヴィエ・・・・・サイモン・キーンリサイド(バリトン)
ラ・ローシュ)・・ヴィクター・ブラウン(バリトン)
クレーロン・・・・・・タチヤナ・トロヤノス(ソプラノ)
ムッシュー・トープ…・ミシェル・シェネシャル
イタリアの歌手・・・・マリア・ホテュナー(ソプラノ)
イタリアの歌手・・クレイブ・エステップ(テノール)
フィアカーミッリ・・・・グエンダリ・ブラッドリ(ソプラノ)
二人の若い踊り手・・・・・・・・シャノン・リリー
ディヴィッド・ジャスティン
家令・・・・・・・・・・・・デイル・トラヴィス
サンフランシスコ歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮:ドナルド・ラニクルス
演出:ステフェン・ロウレス
制作:1993年 サンフランシスコ歌劇場 
2001.9道新教室にて


帰りはガッレリアーを通って、古本屋さんのショーウィンドーを眺めたり、のんびりホテルに戻りました。


↓ホテルのバール

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バールのおじさまも親切で、オペラの後夜食のインスタントラーメンのお湯をもらいに行きました.そのとき、このBarには映画スターかと思われるほどのハンサムな男性(40代くらい)が独り座っていていたのです。プアなイタリア語を喋る私を見てお上品に笑みを浮かべて・・・。しかも後から気が付いたのです。間違えていたのです~あ~ぁ恥。

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(12)バーリ~トリノ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/14(月) バーリ11:50→ミラノ13:30/14:45(バス)→ノヴァーラ(列車に乗りかえ)→トリノ


トリノ/グランドホテル シテア2泊


 10時ごろホテルをチェックアウトしてバーリの空港へ。ミラノ空港からトリノまではミラノ中央駅に出るのが億劫だったので、ノヴァーラまでの空港バスを利用しました。トリノまでの直行バスもありますが、丁度良い時間のはなかったのでノヴァーラからは30分ごとの列車に乗り換えました。スーツケースをマルペンサ空港の荷物預かり所に置いて、2泊分のキャリーバックで、バスに乗車。Ticino川を渡り、うっすらと霧のかかったミラノ平野を走り、ロマネスクの聖堂の残るオレッジョの街を抜けて、ノヴァーラへ。駅から大通りを隔てた向かい側が停留所で、帰りは降車専用のここで待ってて乗り遅れそうになりました。帰りのマルペンサ行きは駅のそばでOKです。


この日の昼食はどこで食べたのか記憶にありませんので、多分移動中の機内ランチだったのでしょう。さて、トリノは初訪問ですが、ホテルは駅から電車通りに面して分かりやすいところで徒歩数分で到着。トリノの歌劇場や駅、美術館にも近く便利でしたが、4☆でもハイクラスの贅沢な宿でした。

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早速トリノ美術館へ。今までプーリアの田舎を歩いてきた身にはなんとも重厚過ぎる建物の並ぶ街です。「苦手なんだけど・・・」とつぶやきながら。


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☆サバウダ美術館Galleria Sabauda(初)

サバウダというのは「サヴォイア家の」という意味があり、トリノを支配したサヴォイア家の絵画蒐集から出発した美術館です。フィレンツェ派のアンジェリコ、ボッティチェッリ、ポライウォーロなど。ヴェネツィア派のベッリーニ兄弟、マンティーニャ、ティントレットなど。フランドル派のメムリンク、エイク、ウエイデンなど。


↓ポライウォーロ兄弟「大天使ラファエルとトビアス」1470以前187×118


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旧約聖書の物語「トビトと息子トビア(ス)」のうち、大天使ラファエルに導かれて犬を連れ、魚を持つトビアスの旅立ちが描かれています。この物語にはいろいろな奇跡があり、父トビトの失明をなおし、大天使が飛び立つ場面はレンブラントの傑作でも知られています。物語全体にわたって魚が重要な役割をになっています。それで図像ではトビアスの持物は魚。サバウダ美術館にはもう一点フィリッポ・リッピの同じ主題のものがあります。こちらは大天使ではなく3人の天使が描かれています。レンブラントの明暗がドラマチックな画面と違って、いかにもイタリア・ルネッサンスの明るい色調が美しいです。


↓ヤン・ファン・エイク「聖痕を受ける聖フランチェスコ」29.2×33.4


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↓同じ主題の一回り小さい作品がフィラデルフィア美術館にあります。12.4×14.6


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↓この2年後の2004年に2つの作品の展覧会がフィラデルフィア美術館であったようです。


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↓オラッツィオ・ジェンテレスキ「受胎告知」1622-23 286×196 


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今春のN.Yの特別展で観ていましたが、ここではこの絵のある部屋が閉鎖されていました。時間制なのかもしれません。


↓スキアヴォーネの「聖母子」もこの美術館を訪れる目的のひとつでした。スキアヴォーネ(本名ジョルジョ・チュリノヴィッチ)はパドヴァの工房で学び、カルロ・クリヴェッリと共通する画法が見られる画家です。作品が少ないのでここでの鑑賞は貴重です。思っていたよりやや暗い煤けた感じの画面でした。そろそろ修復の時期ではないかしら・・・。


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↓ヴァン・ダイクの「イギリスのチャールズ一世の子供たち」はサヴォア家公妃とチャールズ一世の王妃が姉妹だったため、子供達の肖像画を交換したものです。イギリスのピューリタン革命の時の王一家の悲劇が思い出されました。


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同じ建物にエジプト美術館(現在サバウダ美術館は移転)があり、校外学習らしい小学生たちと一緒になり賑やか過ぎ…。適当に巡った後、出口へ。スマートメディアの容量が心配になって、まだ少し残っていた1枚を出して入れ替えしようとした時、手からするりと下へ落してしまいました。なんと!気が付くと下は排水溝です。柵状の蓋の下はとても深く、暗くて見えません。その鉄の蓋もびくともしませんし、通りがかりの人も何か落としたの?と心配して覗いてみてくれますが・・・結局オーマイゴット!!涙。


すっかり意気消沈の私でしたが、トリノは食の街ですからと気を取り直して、夕食のためのレストラン探し。


ホテルから駅方向に少し行ったところに店先にポルチーニ茸を山盛りディスプレーしたレストランを発見。フリットとクリームパスタに調理してもらいました。カジュアルなお店でしたが安くて美味しくて大満足でした。スマートメディアを失くしたショックはかなりなものでしたが、盗られたわけでなく、自分の不注意が原因なので仕方ありませんです。。。








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(11)バーリ(アルタムーラ&マテーラ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/13(日)


 今日は日曜日なので、列車ではなくバスが出るとのこと。駅の地下通路を通って、反対側にバス停があるというのです。それだけの説明なので不安に思いながら・・・大きな通りは長距離バス(ローマやナポリ行きなど)が盛んに発着しているのですが、マテーラ方面のバスは見当たりません。近くの店先にいた男性に訊いたのですが、ここで待ってれば来るよというので待っていたのですが、間もなく出発の時刻です。何気なく100Mほど先を見ると、それらしきバスが止まっているので、あれかも~!と走ったのですが、間に合わず置いて行かれました(涙)

バーリ941発〜アルタムーラ1041着に乗るはずでした。 40Kほどの距離ですが、致し方なくタクシーを拾ってアルタムーラへ。しかもメーター通り払おうとしたら、バーリまで帰るのだからというのです。文句を言うには言葉の壁と度胸もなく、往復70€もぼられました。

 

 アルタムーラは城壁の門から旧市街に入り、大聖堂までほぼ200Mくらい。日曜のミサが終わったころで街の人たちが多く、観光客はあまり見当たりません。若い人たちが嬉しそうにMACの包みを手にしているのに気が付きました。イタリアの地方の小さな町にもMACが進出しているのです・・・後の情報では何年かして地元のパン屋さんに負けて撤退したそうですが。


★アルタムーラ大聖堂Cattedrale di Altamura


プーリア州で唯一フリードリッヒ2世の発願で建てられた教会。1232年に着工されましたが14、16、19世紀に改築されています。  2つの鐘楼とファサードの扉口が印象的。タンパンやアーキヴォルトアーチは華やかで繊細な彫刻で飾られています。。

迫持ちアーチを持つ薔薇窓も綺麗。内部はミサの後の個々のお参りの最中。街の信仰篤い人々の交流が盛んなことが伺えました。



↓ファサードは14世紀


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↓大聖堂の前は狭いので全体を撮れません。薔薇窓も14世紀のもの。


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ほどの道を戻り、サン・ニコロ・デイ・グレーチ教会へ。


☆サン・ニコロ・デイ・グレーチ教会San Nicolo dei Greci


ギリシアの聖ニコラという名前がついているとおり、この地域に住むギリシア人のための教会だったらしい。ですが、今は内部を見学して分かったことですが、普通のカソリックの教会になっています。。日曜のミサの後は合唱団の集まりだったらしく、こちらも教会と地域の人たちのつながりは濃い
と感じました。タンパンの彫刻はなくなってしまって(最初からなかったのかも?)残念でしたが、大聖堂に較べるとよりロマネスクの素朴さが残っていて好ましく感じました。


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 ランチはこの近くの小道を入ったレストランで。しょぼい外観ですが、地元の方たちについて入店。秋の旬ポルチーニ茸の焼いたお皿は。。。あ~思い出すだけでヨダレがでそうです。プーリアの秋の味覚は最高です~!

早めにバス停へいきましたが、定刻より10分ほど早くやってきてガラガラのバス。私だけ乗せたらすぐ出発してしまって・・・そんなんでイイのぉ~。


アルタムーラ1338発〜マテーラ1404


バスセンターから10分ほど歩くと展望台に出ました。深い峡谷に世界遺産にも登録されている洞窟住居群が密集しています。その眺めの向こうの崖の上に建つドゥオーモの塔と教会。
苦労してここまで来た私には輝いて見え、実際、午後の西日が当たっていたので神々しい眺めでした。

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プーリアの各地もそうでしたが、バジリカータ州のここも迷路のような旧市街の小路に惑わされながら、展望台から徒歩15分くらいでドゥオーモに到着。


☆マテーラのドゥオーモDuomo di Matera

1268~70年にかけてプーリア・ロマネスク様式で建立。ファサードは付け柱で3分割され、この付け柱は途中から人間や動物の彫刻で支えられた小円柱になっています。


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 薔薇窓の上のサン・ミカエルの像やオリエンタルな小窓の装飾も素敵。
この地方の名産アイボリー色の石灰石で建てられた柔らかな色彩の教会は、厳しい風土に暮らす人々にはほっとするような慰めになったことでしょう。内部は閉まっていて見学できませんでした。


↓ドゥオーモの左から鐘楼が見えます。

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↓南側面から


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ドゥオーモ前の広場からの眺め


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先ほどの見晴らし台の広場へ戻り、バスの出発までサン・ジョバンニ・バッティスタ教会の見学をしました。


☆サン・ジョバンニ・バッティスタ教会 San Giovanni Battista


創建は1233に完成したプーリア・ロマネスク様式の教会でしたが、17世紀のバロック期に改築されています。

↓南側面に残る扉口


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↓平坦な後背部はプーリア・ロマネスク様式。窓の外側にはライオンが支える円柱。


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 バールでお茶した後、バスセンターに戻り、夕闇迫るバーリへ戻りました。マテーラ17:27→バーリ18:53 この日がプーリアの旅の最後でした。疲れも出る頃でしたが、時間が許せば近郊の岩窟の教会なども行ってみたかった・・・心残り。


明日はミラノ経由でトリノまでの移動日です。荷物の整理をして手持ちのもので部屋食。

 




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(10)アルベロベッロ~バーリ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/12(土)


 ↓一夜明けて、宿泊したトゥルッリです。


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 朝食は昨夜のレストランで。その後はすぐにはトゥルッリに戻らず、ショッピングも兼ねて街の散策をしました。朝食のとき一緒だった日本人の家族と少しお話。スイス在住で障害のある車椅子のお子さん(男10歳くらい)を連れた御夫婦。一生懸命にその子の世話をしながらも、共に旅を楽しもうとしている姿が健気で、同情というよりもファミリーのあふれる愛に心打たれました。お互いに良い旅をと言いながらお別れ。心に残る3人の笑顔でした。


↓朝夕食をとったレストランもトゥルッリ


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アルベルベッロの街並み


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↓屋根の上にも猫


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↓猫があちこちに


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↓何年ごろの写真でしょうか?(絵葉書)


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 お土産屋でレースのテーブルセンターなど購入。泊ったトゥルッリに戻りました。疲れが出てきたのかうっかりして1時間チェックアウトの時間を間違えて、ご主人のお迎えがこないので怒りながら、鍵をそのまま部屋に残して、駅まで歩きました。ところが駅について1時間早いことに気がついて、ウーン!!幸いなことに15分くらいでバーリ行きが来たので、やれやれ。


アルベルベッロ11:47→バーリ12:09

バーリのホテルに入って預けていたスーツケースを部屋に運び少し休んだ後、遅めのランチをホテルの裏側のレストランで。前菜はひと皿にいろいろ盛ったもの。モッツアレッラチーズが美味しいなと食べていると、容器にそのチーズをいれて御用聞きが…毎日フレッシュなのを仕入れるのですね。他はまあまあ★★。


駅前の(i)で明日のマテーラまでのバスを尋ねがてら、ここのウィンドゥに飾ってあった「プーリアのカテドラル」の画集を購入。

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中に入り係りの若い男女とおしゃべり。モルフェッタで不良少年たちにつけられ怖かった話をすると、「そうなんだよ危険なんだ」とあっさり肯定されて・・・「めったにないことだから」と言って欲しかったわ。参りました。

明日は日曜なので今日のうちにバスの切符は買ったほうが良いというので、向かいのアップロカーネ線の駅で購入。乗り場は駅の向こう側というので直ぐわかると思ったのですが….

 

↓バーリの街を散策。バーリのオペラ劇場 建物の赤紫色がいかにも南イタリア。

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夕食はバーリに着いた時に入ったレストランで。ここはピッツエリアも兼ねていています。汗だくで竈で焼く職人さん。行列もでき大人気。ピッツアと小壜ビールのテイクアウト。〆て6ユーロと安くて、さすが南イタリア本場の味。ワンホール平らげました!★★★

 

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↓二度目のお部屋はWで広く、裏庭に面して静かでした。

 

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 明日はプーリア・ロマネスク巡りの最後の日です。マテーラは正確にはプーリア地方ではないのですが、バーリまできて寄らないわけにはいきません。交通手段がいまいち確実性に欠けるのが心配ですが・・・。

 

 

  


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(9)ターラント~マルティナ・フランカ~アルベロベッロ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/11(金)ターラント→マルティナ・フランカ→アルベロベッロ


アルベロベッロ/トゥルッリデア

 

この近辺のSUD-EST線はとても複雑、レセプションの女性が親切に時間とバスの乗り場を電話で確認してくれて助かりました。朝はまず、旧市街の散策にでかけました。緊張しながら旧市街に足を踏み入れ、歩いて行きます。今まで綺麗で趣のある旧市街に慣れていたので、そのあまりに古い汚い様子にオドオド・・・トイレ臭いと思いながら、歩を進めていくと、別に危険な感じはなく普通の下町です。パン屋さんや食糧店が並んでいて、乳母車を押した若いママの姿も・・・徐々に安心感が広がります。暗いというか黒く汚れた建物の間から昨日も立寄ったドゥオーモが見えてきました。

 

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☆ターラントのドゥオーモ Duomo di Taranto

11世紀末に聖カタルドがこの教会に祀られことで、教会の建設が始まりました。ファサードは上の写真のようなバロック様式になりましたが、側面は当初のロマネスク様式の痕跡をとどめています。

↓後陣脇の鐘楼がみえます。

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↓ロマネスク当時の面影の残る扉口(塞がれている)

 

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↓その上の壁に聖カタルド?の浮彫

 

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↓プランとクリプトは参考書からスキャンしました

 

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奥の路地を進んで行きますと、ロマネスク様式の薔薇窓(13世紀)を持つサン・ドメニコ・マッジョーレ教会(フリードリッヒ2世の命で13世紀に建立)

 

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そして海にむかって建つ古い館に、国立博物館(臨時)のコレクションを一部展示していました。ターラントは紀元前8世紀後半にラコーニア人によって建設されたギリシアの植民都市。古代のアプーリア地方の中心都市として繁栄。紀元前272年にローマに敗れ美術品も多く持ち去られましたが、博物館にはターラントでの出土品及びマグナ・グラエキアの美術品を収蔵。先史時代、ギリシア、ローマ、それにシリアで見たオリエント風の彫刻。ギリシアの壷に天使が描かれていて興味をひかれました。

展示品が小品が多かったのは臨時の会場だったからでしょうか。

 

↓「アフロディーテの誕生」テラコッタ 紀元前4世紀終わり~3世紀(絵葉書)

 

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↓「アウグストゥス像」大理石 1世紀(絵葉書)

 

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ホテルに戻りチェックアウト。タクシーでバスセンターへ。ところがマルティナ.フランカ行きは何番の乗り場かわかりません。プレハブの事務所で切符を売るお兄さんが親切に遅れてきたバスを気にして時々外に出て見張っててくれて、私に安心するようにと言ってくれます。なんと優しい!!感激しました。20分程遅れてきたバスでマルティナ.フランカの終点まで行きました。インフォーメイションのあるところを聞くと、通り過ぎたらしい。皆が降りた後私だけ乗せて戻ってくれて親切です。ここでも感動!!

 

 バスを降りたら雨が強くなり、ようやく(i)に駆け込みました。昼休みのまえに荷物を受取らなければならないので、1時間弱しか時間がないので、慌てて雨のなか街の散策。ここは8月にマイナーなオペラを上演する音楽祭で有名。またここに来ることはあるのでしょうか?

 

↓雨のマルティナ・フランカ

 

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 荷物を引き取ってもまだ雨がやみません。タクシー乗り場でしばらく待ったのですが来ないので、小公園の脇に立つホテルへ行き、フロントでタクシーを呼んでもらいました。初めは泊まり客でもないし、面倒そうだったのですが、チップをあげてアルベロベッロまでというとすぐ呼んでくれました。

 

↓時間が合えば寄りたかったロコロトンド

 

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 アルベルベッロまで30分くらい走り35ユーロ。町の中央の広場で降ろされましたが、トゥルッリデアのフロント棟まではすぐでした。お昼休みだったので、近くのレストランでランチ。結構美味しいし、おかみさんも愛想が良い。食事を済ませて、トゥルッリデアのレセプション棟でチェック・イン。御主人が車で私の泊まる家まで送ってくれたのですが(徒歩で10~15分くらい)、2食つきなので夜レストランから戻るのは怖いというと、絶対大丈夫とのこと。確かにとても治安の良い街でした。提携のレストランは日本人のツアーも入っていて繁昌していました。菜の花のオレッキエッテ、ここのが一番美味しかったです★★★。ワインも含まれた2食付きはリーズナブルでした。隣のテーブルの4人はマルティナ・フランカでも出会ったドイツからの二組の夫婦の観光客で、楽しそう~。私は「孤独のプーリア・グルメ」(笑)夜道は暗いから転ばないように気を付けてねとレストランの優しいお兄さんに見送られて、宿のトゥルッリへ。人通りもない迷路のようなトゥルッリの並んだ道・・・不思議な夢を見ているような気分でした。

この夜は寒く、小さな電気ストーブだけなのでなかなか暖まりません。カーディガン、靴下に睡眠導入剤の助けも借りて、ようやく眠りにつきました。

 

↓トゥルッリの部屋 ベットはW1,S1の2台なので3人は宿泊できる広さ(バスタブなし、シャワーのみ)

 

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(8)レッチェ~ターラント [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/10(木)レッチェ11:25→ターラント13:34


ターラント/レジデンス・ヨーロッパホテル1泊


 朝はゆっくり起床、美味しい朝ご飯で元気いっぱい。午前中はレッチェのドゥオーモまで行ってみました。ホテルで一緒になったツアーの添乗員さんの話では、ジプシーの泥棒に注意とのことだったので、きょろきょろ歩きましたが、それらしい人も見かけないし、観光客の多いところには女性警官も見張っているので安心でした。とにかく、バロックはあまり肌に合わない感じが強いので、ドゥオーモもサーッと見学して終わりました。

↓レッチェのドゥオーモ広場

 

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↓レッチェの円形闘技場跡

 

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↓レッチェのホテルをチェックアウトして

 

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 昼頃の列車で(ブリンデシ経由)ターラントヘ。特急なので追加料金を13€支払いました。

↓車窓から雨に煙るターラントの街が見えてきました。

 

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 ターラントに着く頃は雨が激しくなってきたので、タクシーでドゥオーモに寄ってからホテルへ。ドゥオーモは内部を修復中でした。ドゥオーモのある旧市街はこういう町は初めてといっていいほど、荒れ果てた感じなので、運転手さんに治安はどうですか?と訊いたら大丈夫だよとのこと。見かけはボロボロでも悪い人はいないって、と自分にも言い聞かせました。雨が降ると寒いので、バスタブ付きの部屋に替えて貰いました。ロフト形式、螺旋階段の2階に大きなダブルベット、洗面所がついています。1階にはキチネット、ここもNYと同じにコンロなし。居間も広く、独りでは寂しいくらいな感じ。レセプションの女性に近くのレストランを教えて貰って、さっそく遅めのランチ。旧市街への橋の近くにある海鮮レストラン、ここはナント!!7皿の前菜、これだけでお腹がいっぱいになってしまいました。ワイン、水、ケデザート、チップ込みでも17EUR★★★でした。港町なので、蛸、イカやムール貝がさすがに旨いのです。

↓ホテル

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↓ホテル近くの街並み

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夜はお湯をもらって持参のカップラーメンですませました。

 

↓メゾネットの部屋

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↓侘しくカップラーメンを食べる

 

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(7)レッチェ(オートラント、ガラティーナ) [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/9(水)

 

 朝食のとき、日本人のツアーの方たちと一緒になりました。添乗員さんに「お一人ですか?」と大変驚かれ、この町はジプシーもいるので気をつけてといわれました。でも、あのモルフェッタの男の子たち以外はジプシーとか怪しい人達には一度も会っていないのです。

 

 1030発のSUD=EST線でオートラントへ。乗り換えのマリエからはバス。車窓からは相変わらずのオリーブ畑が見えてますが、次第にオリーブの木々も細く、岩のめだつ荒涼とした風景に変わっていきます。丘の上のオートラント駅に着いたのは12時近く、港方向の旧市街を目指して歩きました。聖堂が閉まっていたらランチを先にしようと思いながら、迷ったり、絵葉書買ったり、Informationに寄ったり、のんびり行ってみると、開いていました。

 

↓Google Mapより Otrantoの旧市街 茶色の大きな屋根が大聖堂です。

 

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↓旧市街へは城壁の門から入ります

 

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オートラントの大聖堂 Cattedrale

 

 プーリア・ロマネスクの傑作とされ、州では一番大きな教会です。献堂は1088年ですが薔薇窓は15世紀、ファサードの扉口は17世紀に加えられています。

 

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教会正面の扉口上の薔薇窓はレース編みのモチーフのよう。プ-リア地方の柔らかい白い石だからこのような繊細な窓が造れたのでしょう。これらの薔薇窓はプーリア・ロマネスクのなかでも最も魅力的なものです。

 

↓プラン(左クリプト)

 

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ここの12世紀のモザイクはエミール・マールの著書「ロマネスクの図像学」で知りました。ア-サ-王(フランスではアルチュール王)の物語がフランスからモデナ(司教座大聖堂/扉口の彫刻)を経てここまで伝わってきたとのこと。他にもアレクサンダー大王や12ヶ月のカレンダー、そして圧倒的な旧約の世界・・・。タンパンや柱頭彫刻に繰り広げられた聖書の世界がここではモザイクに表現されています。身廊の中央部は入れませんが、左右の側廊はモザイクの上を直に歩いて鑑賞出来ました。復活祭のころ訪れた友人の話では中央部のモザイクの上に椅子が並んでいたそうです。私が訪れたときは教会内は半分工事中だったのですが、お目当てのモザイクは充分見学できました。写真は残っていないのではっきりした記憶はないのですが、カメラ禁止だったと思います。

 

↓左「アーサー王」 右「アレクサンダー大王」

 

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↓レッチェで購入した本(モザイクの写真が多い)

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↓バベルの塔

 

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さて、次は地下のクリプトと、階段を降りようとしたら2時だからキュウゾといって皆追い出されてしまいました。お昼休みが終わったと思って来た人達(ガイドブックを信じて)はお気の毒。その人たちは当然文句を云うと、「わしだって、おなかがすくんじゃ」とかなんとか・・・昼休みの時間も鍵を持っている係員の気分次第なのが、いかにもイタリア。

 
オートラントの聖堂を出て時計を見ると、次の列車が30分後にあります。もうひとつの古代からの教会はあきらめ、急いで駅に戻りました。午後の汽車通学の中高校生で大賑わいの列車に乗ってガラティーナへ。ガラティーナへは2回も乗り換えて(待ち時間はほとんどなくスムーズ)到着。
ここも旧市街に入って迷っていると、粋な横縞のTシャツのおじいさんがひょっこり現れて、サンタ・カテリーナ・ディ・アレッサンドリア教会まで案内してくれました。徒歩10分くらいの路をグルグル回りながら・・・これでは迷うはず。
ところがようやく辿り着いた教会は内部が修復の工事中。おじいさんも遠い日本から来たのだからと一生懸命工事の人に頼んでくれたのですが・・・工事監督さんから危険だからと断られて。
マルケ派?といわれているフレスコ画を天井だけチラリと覗いただけ。残念でしたが親切なおじいさんには、本当に感謝でした。握手をしてアリベデルチ・・・だが、その手をなかなか離してもらえないの。歳はとってもイタリア男.(笑)。

タンパン上部にはアレクサンドリアのカテリーナの小さな彫刻、玄関柱廊にはお決まりのライオンの台座。後期プーリア=ロマネスクなのでアーキトレーブのレリーフは手がこんでいて、聖女の教会らしい優美さもあります。左の回廊は見学できました。後陣に回ってみたのですが、他の建物がびっちり隣接しています。それでも粘って写真を撮っていると、にゃーにゃー子猫が擦り寄ってきて。そういえば、この日はまともな昼食をとっていません。「空腹はあんた(猫)だけじゃないよ」。帰りの時間まで教会前のBARでスィートポテトと紅茶で休憩。

☆サンタ・カテリーナ・ディ・アレッサンドリア教会Santa Caterina di Alessandria

14世紀に建てられた後期プーリア・ロマネスク様式の教会。中央扉口は両側をライオンの台座に支えられた円柱に挟まれ、タンパン上部にアレクサンドリアのカテリーナの小さな彫刻。(写真はGoogle Earthより)

 

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↓内部は天井の高い身廊。15世紀前半のフレスコ画(ジョットの影響がみえる)

 

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帰途は迷うことなくInformationに寄り、親切なお嬢さんに地図(帰りにもらってもね)や教会のパンフレットなどいただきました。

ガラティーナ駅はトイレの鍵を借りて自分で開ける方式になっていました。(こんなのは初めて)。駅長さんの帽子やら駅員さんのレール切り替え作業などが、ノスタルジック。オホーツク海に近い、今は廃線になった故郷の駅を思い出しました。そういえば日本の鉄道はイタリアを参考にしたもの?


 

 レッチェでは駅からホテルまでタクシーなので、ついでにサンティ・ニコロ・エ・カタルド教会へ寄ってもらいました。ここからようやく自分で撮った写真になります~ほっ!

 

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☆サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会SS Nicolo e Cataldo

街の中心から少し離れた墓地の敷地内に建っています。12世紀末にレッチェ伯によってロマネスク様式で建てられた教会ですが、ファサードと薔薇窓のほかはバロック様式で改築されています。

↓教会の墓地の方向

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夕食は近くに中華料理の看板が出ていたので、旅の中間でもあるし、このへんで中華もいいかなと行ってみたのですがが・・・お客さんは私一人、隅の方でここの店の家族が食事をしているだけ。。。ヨーロッパで食べた中華料理でも最低かな?という不味さ。★なし。

 


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(6)オストゥー二~ブリンデシ~レッチェ [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/8(火)オストゥー二10:52→ブリンデシ11:15/16:12→レッチェ16:44


レッチェ/パトレア パレス ホテル2泊


 朝日に輝く白い街の麓は樹齢千年といわれる見事なオリーブ畑が広がっています。昨日は閉まっていたオリーブ工場の直売所が開いていたので、一番小さな瓶入りのバージンオイルを購入。(3EUR)オストゥー二駅まではタクシーで移動10EURくらいでした。そして、列車でブリンディシに向かいました。

困ったことにブリンディシ駅の荷物預かりは廃業?していて、コインロッカーもありません。昨年の9.11テロ以来荷物のセキュリティーがどこも厳しくなっています。個人で旅するのは難しくなってきたことを痛感(とはいえ辞める気はさらさらありませんが 汗)。Informationも港の近くまで行かないとないというので諦めて、ここもタクシーで回ることになりました。港にはイタリア海軍の船が並んでいるのを遠く見ながら、郊外のサンタ・マリア・デル・カサーレ教会へ。飛行場近くの殺風景な平地にポツンと建っています。ここもデジカメのカードを失くしてしまったので、Google Earthから。

 

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☆サンタ・マリア・デル・カサーレ教会Santa Maria del Casale

この教会は13世紀末に建てられたロマネスク=ゴシック様式のもの。内部の14世紀の壁画が残っているので、ロマネスクの教会というより壁画が目的で立ち寄りました。ところが扉は固く閉まっていて、張り紙には内部は10/115まで修復中と書かれています。カラフルな外観だけ目にとどめて市内に戻り、サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ教会へ。

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☆サン・ジョバンニ・アル・セポルクロ教会San Giovanni al Sepolcro

聖地から帰還した聖堂騎士団によってロマネスク期(11~12世紀)に創建された聖堂。扉口にライオンが支える柱廊式の小玄関。参考書ではやや変形の集中式プラン、8本の円柱と周歩廊↓

 

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 ここは内部は修復中との情報を事前に得ていたのですが、路地の奥にあり静かで、足場もなく工事している気配はありません。鍵はかかっていたのですが扉の隙間からカメラをさし込んで内部を撮影。イギリス人らしいカップルも閉まっているのでがっかりですねと話していると、すぐ隣りの家からおばさんが出てきて、ブツブツ怒りながら、扉を少しも開かないようにがっちり閉めてしまいました。遠くからきたのだから見学したいと頼んだのですが、無理でした。。。この後はドゥオーモを見学

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 ドゥオーモはロマネスク期の創建ですが、ファサードは18世紀に改築されています。内部の床モザイクを見学後、駅に戻りました。距離も時間も短いのにタクシー代60EUR・・・ここはぼられたみたい。駅のBARで軽食のランチを済ませ、レッチェ行きに乗車。

 

レッチェのホテルはサンタ・クローチェ聖堂の近く、着いたときは気が付かなかったのですが、夕刻外出のときホテルをでると目の前に西日に輝く壮麗なファサードが見え驚きました。

 

↓レッチェのサンタ・クローチェ聖堂(ホテルの方向から&夜景)Google Earthより

 

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↓サンタ・クローチェ教会(絵葉書)

 

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バロックはあまり好きではないのですが、サンタ・クローチェは別格です。大迫力、渾身の傑作、ただただ恐れ入りまするって感じ。ここを観ただけで感動しつつも疲労感が増しました。

 

 ホテルは昨年ペルージアで泊まったホテルと同じリーディングホテル・グループ、高級感のある内装が贅沢な気分です。レッチェはなかなか洒落た街、BARやショップも都会的な店が多くサンタ・クローチェ見学後は付近を散策。ここの名産のお人形の工房カルタペスタ兼ショップがあったので自分へのスーベニールを購入。カルタペスタではないのですが、おばあさんになったら旅もできなくなるし、編み物でもしようかと思って。でも、体型だけは似たくなかったのですが。。。近づきつつあります【汗)。

 

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 帰途、ホテルの前にある書店で偶然オートラントのモザイクの教会の本を見つけ、時間もなんとかなりそうですし、レッチェはバロックばかりであまり興味はかきたてられないので、オートラントに行ってみたくなったのです。書店のマダムが「オートラントはぜひ行ってらっしゃい」と強力なご推薦。そのうえ行き方はここで尋ねてねと2~3軒隣の旅行代理店へ連れて行ってくれたのです。若い女性の社員が親切に列車の時刻、乗り換えなど調べてくれました。

それやこれやで暗くなるまであちこち歩いて疲れてしまい夕食はルーム・サービス。前菜はスモークサーモン、スパッゲティボンゴレ。味はまあまあ★★久しぶりにバスタブに浸かってのんびり。

 


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(5)バーリ~オストゥー二 [2002 秋プーリア・ロマネスクの旅]

10/7(月)  バーリ→ビトント→バーリ→トーレ・デル・マーレ→オストゥーニ

 

 朝、チェックアウトして荷物を預け外出。昨日のことがまだ尾をひいていて、気持ちはいつになく消極的になっていました。ビトントは特に駅から聖堂は離れているのが心細く、タクシーでビトントまで

行くことにしました。HOTELでタクシーを頼んだのですが、駅にたくさん並んでいるよと言われ駅へ。なかなか商売上手な運転手さんで、途中しきりにオストゥーニまで150EURでどうか?と勧められ・・・。昨日も100EUR使っているし、随分迷ったのですがバーリのサン・二コラ聖堂などの見学や、ランチなど時間がかかってもOKというのでお願いすることにしました。

 

バーリからビトントまで15Kほどですが、ビトントの聖堂は旧市街の丘の上です。しかも車一台が通れるくらいの細い道をくねくね抜けて、ようやく聖堂へ辿り着きました。人影はなくちょっと不気味でしたがタクシーが側で待っていてくれたので安心でした。この日はあいにくどんよりした曇り空で、写真は少ないです。

 

☆ビトント大聖堂Cattedrale di Bitonto

バーリのサン・二コラ聖堂をまねて12世紀に建立。

 ↓全景図はGoogle Earthから

 

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↓右側面の開廊が優美な印象の教会。上部の六連窓を持つ開廊には動物や人の柱頭の浮き彫り、その円柱などもそれぞれ違うデザインでなかなか凝っています

 

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↓ファサードは三つの扉口。正面の扉口の彫刻は繊細な紋様で縁取られ、タンパンはイエスの復活、ラントウはマリアの各場面。プーリアらしい「石の柔らかさ」の表現にうっとりでした。

 

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↓  張り出しの後陣ではなく、のっぺりした後背部の壁。動物の彫られたオリエンタルな小窓がプーリアスタイル。

 

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↓プラン

 

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↓内部にも誰も居なくて、クリプトも閉まっていたので、グリフォンのモザイク(11世紀)も観ていません(写真は参考書からスキャン)。

 

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 とにかくお天気が悪く暗いので、有名な説教壇の彫刻だけをようやく確認できたのですが、他は良く見えなくて残念。バーリへの帰り道、タクシーの運転手さんにこの近くに素敵な小さな古い教会があるから寄りますかと勧められたのですが、この後バーリ市内の見学、そして午後にはオストゥーニまで行かなければならないので断念。後で調べたらBITETTO及びその周辺はイタリア公式ガイドにも記載されていました。寄ってみれば良かったかしら・・・キリがありませんね。

 

↓先ずはお城のそばで記念撮影

 

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そして大聖堂の広場へ。やはりバーリは都会ですし、観光客ではなさそうな失業中らしい男たち、なかには目つきの悪い人も(みんなドロボーに見えてしまいます)多くたむろしています。タクシーの運転手さんがここで見張っているからと言ってくれましたが、↓なんと大聖堂は修復中で見学不可

 

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↓大聖堂の裏に回ってみました。先ほど見たビトントの後背部とそっくり!

 

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サン・二コラ聖堂までの小路(写真下)へも婦人警官が付き添ってあげると言ってくれたり、とても親切。近くの絵葉書売場の娘さんも気がきいていて、切手もどーお?と愛想が良い。昨日から続いていた重ぐるしい気分も少しずつ和らいできました。


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サン・ニコラの前にはパトカーも停まって警戒中、これではすりも近寄れないでしょう。

 

☆サン・二コラ聖堂San Nicola (初)

バーリの商人たちが小アジアのミラ(現在のトルコ・アンタルヤ県にあった古代都市)から後に市の守護聖人となったサン・二コラの聖遺物を1087年に持ち帰り、教会の建設が決まり、1197年に献堂。プーリア・ロマネスクの一つの典型。

↓白い石灰石で造られたファサード。広い広場に建っています。外観の写真は見学後に撮るつもりで失念したらしく、残っていません。全景図はGoogle Earthより

 

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↓プラン

 

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中央扉口の両側の円柱を支えるのは牡牛。(写真は参考書からスキャン)

 

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↓ クリプトの祭壇下には聖二コラの墓があるので、ギリシア正教徒たちの巡礼者が多く訪れていました。

 

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↓貝の盛り合わせ、海老などのグリル、トマト味のオレッキエッテ、水、ワイン、エスプレッソで30EUR★★★★

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↓日本人が珍しい?シェフも見えて記念撮影。レストランからは漁をする小舟なども見え、ここで出す魚もあのあたりからくるとのことでした。

 

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このへんは直売の魚やさんが多く並んでいて、バーリから車で買い物にくる人も。

高速道路を飛ばしオストゥーニのホテルでタクシーを降りました。チップ含めて170€。

 

オストゥー二のホテルはあまり選択肢がなく、旧市街では見つけられなかったので、少し外れた割合大型のホテルを予約しました。

↓白いケーキのような丘の街が見える部屋(バスタブなし、二食付きで約100€

 

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↓内装はシンプルですが広く、赤くペイントされた家具が可愛い。

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 旧市街まで歩くと結構かかるとのことでタクシー(片道67EUR)を使いました。旧市街入り口の広場でタクシーを降り、白い石畳の続く、迷路のようなロマンティックな街を散策しました。写真はトリノで1枚SDカードを紛失したので、オストゥー二からレッチェまでありません(涙)。

↓Google Earthから 「オストゥー二の白い街」「オリーブの林に囲まれたオストゥー二」「樹齢千年を超えるオリーブの樹」

 

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↓絵葉書

 

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帰りは広場のBARから同じタクシーを呼んでもらってホテルに戻りました。

 

ここは有名な観光地なので、ホテルではオーストラリアやドイツのツァーと一緒になって賑やか。ホテルのレストランで夕食。疲れがでてきたのかあまり食欲がなく、スパゲティ、オムレツなども不味くて・・・★

 


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